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当時の浅野家のお財布事情

浅野 そうかもね。ただ、そういう懐事情に関しては、私は夫に任せっきりでさ。

近田 当時、財布の管理は奥さんが行う家庭が多かったよね。

浅野 一度、旦那にしみじみ言われたことがあるのよ。「お前のいいところは、『うちにはいくらお金があるの?』って聞かないところだよな」って(笑)。

近田 そこには無頓着なのね。

浅野 聞いたところで、自由に使わせてくれるわけじゃないから、聞かないわよ。それだったら、むしろ知らない方がいい(笑)。

近田 子育ての期間中、順子さんの方は働きに出たりはしなかったの?

浅野 時々、バレエを人に教えてた。

近田 順子さん、バレエを嗜んでたんだ。そういや、お母さんもソシアルダンスのチャンピオンだったって言ってたもんね。バレエは、いつから習ってたの?

浅野 父親がアメリカ人だったから、私にタップダンスをやらせたがったのよ。3歳ぐらいの時にレッスンに通わされたんだけど、幼かったから、金属板を踏み鳴らすのが怖くって、「パタパタ嫌だ」って言ってやめちゃったらしい。

近田 「パタパタ嫌だ」って、かわいらしいね(笑)。

浅野 その後、中学生になって、クラシックバレエをちょっとやったんだけど、私、体がでかいから、それを生かしてモダンとかジャズの方をやりたくなって、そっちに移ったの。でも、ちゃんと習ったのは2年ぐらいだったわね。

近田 まあ、10代の頃はクレオパトラ党の活動にお忙しかったでしょうからね(笑)。

浅野 結婚してから、久しぶりにバレエを再開したのよ。中華街に、「チャイハネ」って店があるじゃない?

近田 はいはい。エスニックな洋服とか雑貨とかを売ってる有名な店だよね。

浅野 あそこに、「シルクロード舞踏館」っていうスペースが併設されてて、そこで先生から習ったり、インストラクターとして教えたりするようになった。お金持ちの家まで、出張レッスンに行ったりもしたわね。

2025.03.16(日)
文=下井草 秀
撮影=平松市聖