近田 結構長くやってたのかな。
浅野 35歳だったかで引退しちゃった。その頃に、私は、磯子で小さな喫茶店をオープンするの。
近田 へえ。それまで、飲食業に携わった経験ってあったわけ?
浅野 全然なかった。
近田 なのに、何でまた、いきなり喫茶店なんか始めたのよ。

浅野 旦那が、「知り合いの店が空くっていうから、引き継ぐって話付けてきちゃった」って言うのよ。えーって驚いたけど(笑)。
近田 そりゃ驚くよ。店の名前は?
浅野 「JUNの店」。開店の前日まで、前の店が営業してたから、店名を考える余裕なんてなかったの。
近田 まさに居抜きだね。
浅野 とりあえず、ペンキだけ塗り直したような具合だった。5坪程度のちっぽけな店でさ、個人タクシーの運転手さんが毎日のようにランチ食べに来てたのを覚えてる。店舗の裏には小さな部屋があったから、そこに息子たちを呼んで、家庭教師の先生に勉強を教えに来てもらってた。あの店は、3年ぐらいで閉めちゃった。
子どもの頃から不思議と…息子・忠信デビューの経緯
近田 ちなみに、忠信君が俳優としてデビューしたのって、何歳の頃?
浅野 15歳、中3の時。ちょうどその頃、別所の家から立ち退くことになったんで、港南台に一軒家を買って、引っ越したのよね。
近田 彼のデビューのきっかけって?
浅野 「3年B組金八先生」のオーディションを受けて、合格したの。最初は、佐藤忠信っていう本名で出演してた。

近田 それまで、演技の経験はあったわけ?
浅野 全然なかったんだけど、旦那がオーディションを受けるように勧めたのよ。
近田 マネージャーとしての経験から、息子に役者の素質があると見抜いたのかな。
浅野 そうみたい。私には分からなかったけどね。ただ、不思議なのは、子どもの頃から、忠信って、何人かで写真を撮ると、必ず真ん中に写ってたのよね。
近田 別に、俺が俺がって性格じゃないのにね。じゃあ、自然と前に押し出されてしまうような、華みたいなものが備わっていたってことかな。
2025.03.16(日)
文=下井草 秀
撮影=平松市聖