「あなた、よくこんなになるまで放っておいたね」――かつて2度の子宮がんを患った、女優の原千晶さん(50歳)。彼女が病魔の進行に気づけなかった理由は、最初のがん発覚以降、習慣化していた定期検査を中断してしまったから。当時はそんな自分を省みて、家族や恋人など「大切な人たちを裏切ってしまった」と後悔する日もあったという。
原さんが「人生最大の失敗」と語る、当時のエピソードを前後編に分けてお届け。2度のがんとの戦いは、彼女の人生をどう変えたのか?(全4回の1回目/2回目を読む)
![女優の原千晶さん ©石川啓次/文藝春秋](https://crea.ismcdn.jp/mwimgs/f/6/1280wm/img_f66ab0d14549cb0340dabf9356d38b61182966.jpg)
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30歳で子宮頸がんに
――30歳の時に子宮頸がんが分かったそうですが、発覚したきっかけは何だったのでしょうか。
原千晶(以下、原) 昔から生理が重く、ドラマの撮影現場で痛みで倒れたこともありました。がんが分かる半年くらい前から生理中以外も体調が悪く、不正出血や血液が混ざったようなオリモノが出るようになっていました。友人に相談したところ、受診を強く勧められました。
友人に教えてもらった婦人科を受診すると、「子宮頸部に1cmくらいの腫瘍がある」と告げられました。そして翌年の2005年2月に子宮頸部を円錐状に切除する手術を受け、切り取った組織を病理検査した結果、子宮頸がんを宣告されました。医師からは「子宮を全部取りましょう」と勧められました。
――その時はどんな心境でしたか。
原 がんのステージが1Aの1期という初期だったことにはホッとしたのですが、子宮全摘手術を提案されたことは衝撃的でした。「将来は赤ちゃんを産みたい」という気持ちが強かったので、「今なら子宮をとるだけでいいんだよ」という医師の言葉は、追い討ちをかけられたように感じました。
――がん宣告を受けた時は、お母様が同席されたそうですね。
原 母が北海道から来てくれて、2人で検査結果を聞きました。まさかがんだとは思わず、「検査結果を聞いたらやっと安心できるね」と言っていたんです。母も相当ショックを受けていましたが、「子宮をとりましょう」と言われて私が泣き出すと、膝の上で私の手をギューッとすごい力で握ってくれました。「大丈夫だよ」と励ましてくれるのが伝わってきましたね。母自身も、手を取り合うことで気持ちを保っていたのかもしれません。
――他のご家族は、原さんのがんをどう受け止めたのでしょうか。
2025.02.12(水)
文=都田ミツコ