大切な人たちを裏切った――人生最大の後悔
原 2年間は毎月1回検査に通っていたのですが、ある時たまたま予約していたのを忘れて、キャンセルしたことがあったんです。それがきっかけで「来月でもいいか」と先延ばしにするようになり、ズルズルと病院に行かなくなってしまいました。その頃は不正出血もなく、生理痛も以前より軽減されて体調が良くなっていたんです。「腫瘍は切除したし、2年も何もなかったんだから、もう大丈夫だろう」と勝手な判断をしてしまいました。
母や、当時交際中だった夫は、「今月は検査に行ったの?」と聞いてくれていました。それなのに、「いつまで病人扱いするんだ」というひねくれた気持ちが湧いてしまい、「検査しているから大丈夫だよ」と嘘をついていました。
そこから2年半が経った2009年末に、体調が急激に悪くなりました。不正出血や、腰の鈍痛があり、水のようなオリモノが出ました。怖くなってクリニックに駆け込むと、すぐにがんの専門病院を紹介され、医師から「あなた、よくこんなになるまで放っておいたね」と呆れるように言われました。
![©石川啓次/文藝春秋](https://crea.ismcdn.jp/mwimgs/b/8/1280wm/img_b86d3c2e3790bb9d1f2e6001db55adcc185285.jpg)
――再発したがんは、どんな状態だったのでしょうか。
原 悪性の高いがんが子宮の頸部に広がっているのが、肉眼でも分かるくらいになっていました。さらに、リンパにも転移しているということでした。私は「もう子宮をとります」と観念したのですが、医師は驚いたように「もう子宮をとるだけでは済みませんよ」と言いました。
医師からは、子宮だけでなく、卵巣や卵管、骨盤の中のリンパなども摘出する「広汎子宮全摘手術」を勧められました。手術後はすぐに抗がん剤治療を開始する必要がありました。
その時、5年前の先生が言った「今なら子宮をとるだけでいいんだよ」という言葉の意味がやっと分かりました。どうしてもっと早く理解できなかったのか、泣いてもわめいても後の祭りです。2人の大切な人を裏切って、悲しませることになってしまった。自分の行動を心の底から後悔しました。
――再発について、ご家族にはどう伝えたのでしょうか。
原 母には、すぐにはとても言えなくて、「どれだけ失望させるだろう、怒らせるだろう」と悩みました。1週間以上経ってから思い切って電話をして、「ごめん、またがんなんだよね」と言ったところ、母は数秒間何も言わなかったんです。
――がんが再発したことを告げた時、お母様はどんなことを仰ったのでしょうか。
〈がんで子供が産めない体に、それを知った夫の家族は…女優・原千晶(50)が涙した「義両親のあたたかさ」〉へ続く
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2025.02.12(水)
文=都田ミツコ