日本で作るからこそのケーキがある

――なるほど。だからこそ、日本の食材を活かした日本の洋菓子の道を見つけたということでしょうか。

高山 そうなんです。中島が「パティスリーSATSUKI」のシェフ・パティシエになり、彼のスペシャリテを何にするかと話していたときです。当時のモンブランはフランス産のマロンペーストを使うのが最高とされていました。エルメさんに日本の栗を試食してもらったら、「こんなおいしい栗があるのに、なぜ使わないの?」と聞かれたそうです。中島は「目から鱗」だったと言います。

 当時はモンブランに和栗を使うことはありませんでした。愛媛県宇和島の出身で、山を駆け回って遊んだ子供時代に食べた栗のおいしさを思い出し、中島は和栗でモンブランに挑戦しました。

――和栗のモンブランは当時、斬新だったのでは?

高山 和栗という言葉さえ親しみがありませんでした。そこで2000年に「三栗物語」と銘打ち、フランス、イタリア、日本の栗の食べ比べセットを作りました。これで和栗のおいしさが伝わったのでしょう、支持されるようになりました。

――いまの和栗ブームの発端にもなった?

高山 どうでしょうか。当時、上質な和栗は主に和菓子店に卸されていました。売れるようになって農家さんとの信頼関係も築け、全国から一級品を仕入れられるようになり、味がさらに向上しました。

――それがスーパーモンブランになっていくのですね。

高山 はい。その前に「スーパーシリーズ」誕生のお話をしましょう。

2024.12.20(金)
文=北村美香
写真=志水 隆