この記事の連載
- 『マイナーノートで』より#1
- 『マイナーノートで』より#2
社会学者上野千鶴子さんが、その感性を低く静かな「大人の音色」で奏でたエッセイ『マイナーノートで』。目標を持たない学生が研究者となるまでの過程から、チョコレート好きな一面、老いへの不安や、他界した先達への哀悼などを綴った随想だ。同書より、「変わる月経事情」を抜粋して紹介する。
あなたは初潮が来たことを告げたときの、母親の反応を覚えているだろうか?
パンツやスカートを黒ずんだ血で汚し、自分のカラダに何が起きたかわけがわからないまま、母親に告げる。その前に保健体育の授業で女の子だけが集められて、ひそひそ話をするように、「女子にはね、月経といって……」という情報を得ているから、もしかしたらこれがあれかもしれない、とぼんやり考えるが、にわかには結びつかない。
あなたの母親は何て言っただろうか? にっこり笑って「おめでとう、お赤飯炊かなきゃね」と言っただろうか、それとも「あんたもとうとう女になったのね」と汚らわしいものでも見るような目を向けただろうか? 初潮に対する母親の反応如何で、母のミソジニーが娘に刷りこまれる。
わたしの母は「そう、来たのね」と言って、パンツを洗い、月経用品を手早く手作りしてくれた。幸い実家は医院を営んでいたので、脱脂綿はいくらでもあった。それを薄紙に包んでナプキンのように重ねた。そして月経の始末の仕方を教えてくれた。赤飯を炊くことはなかったが、夕飯の席で、父親がそれを知っていることがわかった。なぜ男親に伝えるのだろう、と母を恨んだ。
月経用品は、家族のなかの男のメンバー、父や兄弟たちに知られないように処理するのが女のたしなみ、とされていた時代のことだ。
アンネナプキンはまだ登場していなかった。アンネナプキンが誕生したのは1961年。わたしはちょうど13歳だった。そういえばアンネナプキンのアンネは、ナチから逃れて隠れ家で思春期を過ごしたアンネ・フランクの『アンネの日記』から来ている。アンネが日記を書き始めた年齢も、13歳だった。
不自由な隠れ家生活のなかでおそらく初潮を迎えただろうアンネは、月経の始末をどうやってしのいだのだろう。月経と口にするのも憚られる時代だった。それを婉曲語法で言うために、「今日はアンネの日」と呼ぶことが提唱されたのだった。つくったのは当時27歳の女性起業家、坂井泰子。「アンネナプキン」という名称でなかったら、売れなかったかもしれない。
最近になって、女性のカラダに関するさまざまな創意工夫を凝らしたフェムテックという分野が登場し、吸水ショーツや月経カップなどの新商品が登場しているが、それを開発しているのも若い女性起業家たちである。アンネナプキン誕生秘話には、坂井を社長にして一億円を投資したミツミ電機の森部一が送りこんだ社員、渡紀彦が、月経ってどんな気分なのか、使用感を味わうために月経用品を身につけて歩いたというエピソードがある。
男にわからないなら、わかるひとを起用すればいい。女のカラダに起きることをいちばんよくわかっているのは女性自身だ。とはいえ、月のものがなくなってから久しいわたしは、月経用品のなかから新製品を試す楽しみがなくなった。
2024.11.28(木)
文=上野千鶴子