そんなことをしないで政権を奪取すれば良いのに、と現代の闘士は思うだろう。実際それをやったのが明治維新である。

 明治維新は革命ではない、という人がいるが、当の藩士たちは長年倒したかった幕府を倒したのだから、彼らにとっては革命である。しかしその結果何をしたかというと、幕府の権威への依存を、天皇の権威への依存に入れ替えただけで、前代未聞の天皇制中央集権国家を作り上げ、琉球処分、日清戦争、日露戦争、韓国併合、第一次世界大戦、シベリア出兵、満州事変、日中戦争、太平洋戦争と、立てつづけに戦争と侵略をおこなった。その間に実施した言論・芸術弾圧は江戸幕府の比ではない。こういう革命なら、もうごめんである。

 江戸っ子たちも江戸の幕臣や武士たちも、そういうことはしなかった。

雪ふれば炬燵櫓に盾こもりうつて出づべきいきほひはなし

ねてまてどくらせどさらに何事もなきこそ人の果報なりけれ

 これは幕臣、大田南畝の狂歌である。皮肉でも韜晦でも負け惜しみでもない。この通り、なのだ。まずは、こたつの中で寝ていられる社会を作ったのは江戸幕府である。それは見事だった。世界では戦争し続けているのに、二五〇年間にわたる「戦争のない国」を作ったのである。偶然ではない。決断して作った。しかしそうするには、国内を強引にでも、まとめねばならない。二七〇以上ある大名家を反発が起きないよう巧みに懐柔し、あらゆる乱を抑え、外国からの援軍要請を断り、幕臣・藩士には学問を身につけさせ、物資の流通を盛んにし、「ものづくり」を盛り上げ、全国の交通網を整え、そして出版と悪所を自己管理させた。つまり、まだ民主主義という言葉も人権という概念もない時代、平和を守るために政治思想を行きわたらせ、「管理」したのである。

 平和だが、息苦しい社会だ。特に規則に縛られていた武家社会では、給与の単位である「家」は絶対に守らねばならなかった。家が潰れれば家族および家臣全員が生きていかれなくなる。そこで、基本組織である「家」の内部にはそれぞれの「役割」があった。全体を統括する主人、その妻、隠居した父母、後継たる長男、他家との繋がりに役立つ次男以下および娘、万が一後継がいない時のために子供を産む妾、幼少期の子供の世話をする乳母、そして家臣たちである。

2024.11.09(土)