商家もやがて、同じような役割分担をするようになった。子供は今日のように独立した人権がある、とは考えられていなかったので、家に役立つ役割を果たすために生きるべきだった。そこで結婚は政略結婚となり、家が経済的困窮に陥れば、娘は自分を遊廓に売って借金をしたのである。遊廓は家族制度に不可欠だった。「役割」意識と、そこに醸成された「親孝行」の倫理、女性の「自己犠牲」の美意識、その全てが遊廓の経済構造を成り立たせたのである。
遊廓はその経済構造の上に、その息苦しさを解放する別世界として、徐々に濃く深い存在になっていった。無論、顧客にとって、である。そこで、想定外のことが起こった。妓楼や茶屋の経営者たちは、平安時代以来の日本文化を、まるで平安京のような碁盤の目状に作られた吉原遊廓に、再現したのだった。和歌、書、琴、香道、生け花、茶の湯、双六、囲碁、漢詩、俳諧等々。それを担う遊女たちは、公家か、大名の娘たちか、と見まがう品格をそなえた。
平安時代の歌合せの現場は、江戸の市井に移(写)されて狂歌連が無数に生まれた。連歌の場はすでに俳諧の座になっていた。花鳥風月雪月花は浮世絵になった。歌舞伎役者たちは、『平家物語』や『太平記』の登場人物になって舞台を縦横無尽に動き回った。時間空間が自由自在に重ね合わされ、つなぎ合わされるこの江戸時代の文化を、そのような「別世」に演出した主役が、出版業であった。そこに蔦屋重三郎が現れた。
本書ではまず、印刷や出版の歴史を踏まえて、蔦屋重三郎が生まれ育った時代が、江戸時代の中でいかなる時代だったのかを考えてみる。幼少期に心に刻みつけたことが、彼の編集の原動力になっていると思われるからだ。
次に、吉原を本という媒体の中でどう編集したのか、実際の本を使ってその方法を見てみる。蔦屋重三郎の場合、その拠点となっていた吉原の編集にこそ、「たくらみ」すなわち編集意図が現れているからである。
2024.11.09(土)