さらに、天明狂歌という、前代未聞の江戸人たちの活動を見ていく。これは、高位の武士、下級武士、大商人、さまざまな町人、職人、役者、浮世絵師、遊女などが「狂名」で参加した文化運動である。その渦の中で成し遂げた蔦屋重三郎の狂歌本の編集は、「狂歌師の編集」でもあった。俳諧がそうであったように、狂歌も個人のみの営みではなく、古代以来の「宴」と「歌合」の型を使った「連」で生み出された。そこには集め、結合し、見立て、競わせ、俳諧(諧謔)化する編集が生きている。狂歌師の編集は連を活性化し、連の活性化は他のジャンルに及んだのである。重三郎は自ら狂歌連の一員になり、狂歌と浮世絵を一体化させた狂歌本を編集した。ここに、幼少期に心に刻みつけたであろう、多色刷り時代の高揚感が見える。

 その狂歌師との合わせわざ編集が、高度なプロフェッショナルの浮世絵師・喜多川歌麿を育てた。絵入狂歌本が、当時最高の線を描いた歌麿と、歌麿とともに仕事をした彫師・摺師など職人の居場所となり、そこからやがて、歌麿の美人画が出現したのである。

 もう一つの悪所である芝居町でも、やはり大量の芝居浮世絵がつくられ、絵草紙屋から販売されていた。当時の売れっ子浮世絵師は歌川豊国で、芝居は老若男女さらに子供まで人気があったから、豊国を中心に、芝居浮世絵は芝神明前の伊勢屋や和泉屋で大量に売り捌かれていた。そこに蔦屋重三郎はアマチュア絵師・東洲斎写楽の個性をぶつけた。本も浮世絵も編集によって、従来からあって馴染んできたものに異質なものを投げ込み驚きを与えることができた。写楽の役者絵は、馴染んできた豊国の役者絵に対し、その輪郭をカリカチュアライズして強調し、人々が実際は何を見ているのか気づかせた。カリカチュアライズはフェイクではなく、事実への気づきである。しかし前衛はいつまでも前衛ではいられない。驚きは長くは続かない。写楽は短期間で浮世絵の世界を去ったが、そこに示された「視覚は変わり得る」という事実は、江戸文化全体に通じることだったのだ。

 本書では、「蔦屋重三郎の編集」とはどういう特徴があったのか、そもそも「編集」とは何か、縦横に語っていきたい。


「はじめに」より

蔦屋重三郎 江戸を編集した男(文春新書 1472)

定価 1,100円(税込)
文藝春秋
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2024.11.09(土)