ほんまや。これや、枚方の段。川をはさんでおもろいことやってるわ。妹背山婦女庭訓の山の段のパロディになってるんやな。文章ももじってるし、掛け合いになってて、こんなん観たら、当時のお客さん、腹抱えてわろたやろな。「おきみはんが笑いながら書いた」ゆうのもようわかるわ。でも大島はん、なんでこんな内容まで知ってんのやろ。じかに丸本を読んだとも思えんし、なにかであらすじでも読まはったんやろか……ああ、そや。確かあの本にくわしいあらすじが入ってたな。あれ見たら書けそうや。
思わず本作の調子に引き込まれそうになるが、例えばこのような思考をたどりながら、著者の創作過程を想像して、あまり広くは知られていない「実」との対応を確認することになるのである。
同様に、他にも例えば、菅専助の遺作『花楓都模様』の「後半は不評の嵐ですぐに差し替えられ」(二二〇頁)という記述は、おそらくあの本に書かれている見解に基づくのだろうとか、近松徳蔵が二枚目作者となった時の歌舞伎の外題『もふもふよかろ丑御執達』(六三頁)や、十遍斎一九(後の十返舎一九)の黄表紙『木下蔭狭間合戦』(二六六頁)も、確かにそういうのがあるなとか(いずれもそんなに有名なものではない)、少し参考文献に当たると、著者が踏まえた「実」がいろいろと確認できる。
もちろんこうした確認は、単に小説の記述と史実との対応を見ていくだけでは、さほど意味はないだろう。小説においては、こうした「実」が、時に「虚」を交えながら、一つの作品の中でどう整合的に配置され、その結果どのように物語が組み立てられているかということが重要である。従って、ここでも、著者が踏まえた「実」を確認しながら、併せてそこにどのような「虚」が加えられているかを総合的に見ることに意味があり、そうした分析が私にとっても面白いのである。
2024.08.29(木)
文=久堀 裕朗(大阪公立大学大学院文学研究科教授)