小泉今日子さんが、「株式会社明後日」を設立した当初から念願だった大島真寿美さんの小説『ピエタ』を舞台化。
18世紀のヴェネチアを舞台に、『四季』の作曲家ヴィヴァルディが司祭として孤児院でヴァイオリンを教えていたという史実をベースに、ヴィヴァルディと縁のあった女性たちの、身分や立場を超えた交流と絆を描く。
構想から約10年。満を持しての舞台化にかける思いを伺います。
「『ピエタ』は女性たちの背中を押してくれる」
――小泉さんは読書家として知られていますが、さまざまな物語があるなかで、『ピエタ』をどうしても舞台化したいと思われた、小泉さんが心を揺さぶられた一番のポイントはどこだったのでしょうか?
読売新聞の書評委員をしていた2011年に記者の方に薦められて読んだら、ものすごく感動して。これをもっと立体的な伝え方ができないかなとずっと思っていました。
物語に登場するのは、みんな中年期も終わりかけていて、ある意味人生を諦めようとしている女性たち。それは時代を問わず、現代の私たちも同じような気持ちに駆られる年齢だと思うんですね。この物語は、そういう人たちに対するものすごく素敵なエールだなと思ったんです。女性たちの背中をやさしく押してくれるというか。
舞台は18世紀のヴェネチア。ヴィヴァルディが司祭として孤児院で音楽を教えていて、主人公は45年前にその孤児院に捨てられたエミーリア。彼女のもとにヴィヴァルディの訃報が届き、それをきっかけに幼なじみで貴族の娘のヴェロニカ、高級娼婦のクラウディア、ヴィヴァルディの妹たち、スター歌手とその姉など、さまざまな女性たちに出会っていく。立場や生き方がまるっきり違う、本来なら出会うはずのない女たちが出会った瞬間に共鳴し合い、助け合っていく姿は、今の言葉で言えばまさに「18世紀のシスターフッド」。そして最後には、ヴェロニカが過去に自分が書いた詩から、少女の頃の自分からエールを贈られるという……。
私自身、この本を読んだときは彼女たちと同世代の45歳。今はずいぶん年齢がいっちゃいましたけど(笑)、私自身がこれまで道を間違えそうになったり、不安になったりしたとき、私を奮い立たせてくれたり、助けてくれたり、選択を間違えないように守ってくれたのは、自分が少女だった頃の過去の記憶でした。もちろん、結果的に他者に助けてもらうこともありましたけど、自分自身の記憶に助けてもらう部分が大きかったので、共通項が多いこの物語をどうにかしたかったんですよね。
立体的に伝える方法はいろいろありますけど、イタリアに行ってイタリア人に演じてもらうならまだしも、日本人で映像化することは無理じゃないですか。でも、舞台だったらそれができる。舞台って自由だなと。
――シスターフッドという言葉は、一般的には女性同士の連帯や共闘を意味しますが、他者だけでなく、過去の自分もまた含まれるということなんですね。
そうなんです。時間というのは前に進んでいる一方向のもので、過去は後ろにある気がしますよね。でも、あるとき、横に過去の自分がいたらどうなるんだろう? と思ったことがあったんです。私は10代で何も知らずに芸能界に入って、毎日不安で怖かったけれど、頑張って一歩ずつ一歩ずつ歩いて行って、その彼女がいたから私は今ここに立っていられるわけじゃないですか。それでも、過去には小さなトラウマのようなものを残してきていて、今の私が頑張れば、その過去も変えられる気がするんです。あくまで私の持論なんですけど。
今の私にも怖さや不安があって、そこを頑張って一歩を踏み出せば、この先の77歳の私と一緒に前に進めるんじゃないかと空想したことがあるんです。そう思えたら、ものすごく力強くて。『ピエタ』を読んだとき、過去の自分と今の自分が手をつないで一歩を踏み出している、そんな気がしたんです。
――小説を読んでいたとき、小泉さんはどの登場人物と自分を重ねていたんですか?
最初に読んでいたときは、貴族のヴェロニカでした。彼女が抱えている孤独というのは、自分の職業が抱えている孤独に近い気がしたんです。今でも一人の人間としての「小泉今日子」は、ずっとヴェロニカに近い気はしますが、10年以上前に本を読んだときよりも今の私はクラウディアの気持ちも行動もすごくよくわかるようになりました。
でも、実は今回私はエミーリアを演じることにしたんです。意外でしょう? 一番意外な役を選んだのですが、カーニバルの中で導かれるようにいろんな女性たちに会っていくエミーリアは、ゴンドラの船頭としてこの物語を運んで行く人。この物語を自分の思うところへと連れていきたい私自身とすごくかぶったので、今の私にはぴったりかなと。
2023.06.02(金)
文=和田紀子
撮影=平松市聖