前作『渦』を初めて読んだ時、「こうしたスタイルは、きっと浄瑠璃という題材に合わせて、著者がこの小説で特に採用したものだろう」と思ったのを覚えている。しかし、後に『ピエタ』などいくつかの大島氏の小説を読むに至って、そうではなく、こうしたスタイルが、『渦』以前の大島作品にも、ある程度共通して見られるものであることを知った。ということは、もともと大島氏の作風自体に、浄瑠璃という芸能の特徴と相通ずるものがあり、大島氏と浄瑠璃という題材は、出会うべくして出会ったということになるのだろう。勝手な想像であるが、そうした幸福な出会いによって、『渦』『結』という魅力的な小説が生み出されたのだと解釈している。
以上、解説ならぬ感想めいたことを縷々述べてきたが、最後に『渦』『結』両作の作品構成について少し触れておきたい。本作『結』は、『渦』の続編であるが、前作が一貫して近松半二の視点から物語が展開する一代記的内容であったのに対し、本作は視点人物が移り変わる群像劇的内容となっている(視点人物をまとめると、「水や空」「月かさね」が耳鳥斎、「種」「硯」が近松徳蔵、「浄瑠璃地獄」が菅専助、「縁の糸」が近松柳)。
そのような違いもあり、ある程度独立した内容にもなっているので、本作を先に手に取った人がいたとしても、大きな問題はないだろう。本作から読み始めても、きっと十分に楽しむことができるに違いない。ただし、もちろん連作としての著者の工夫もあるので、両方を通読した方が、より面白さがよくわかるのは言うまでもない。例えば、『渦』の最初が「硯」という章で始まり、『結』の最後が同じく「硯」という章で終わっている点など、両作を通じての対応もあるので、ぜひ両方を読んで、そのような関係を確認してもらいたい。
その「硯」についても少しだけ触れておくと、近松半二に伝えられた近松門左衛門の遺品の硯があったということも歴史的事実である。その存在については、八犬伝の作者として有名な曲亭馬琴が、享和二年(一八〇二)の大坂旅行時の記録に書き残している(『蓑笠雨談』)。ただし、馬琴が誰のもとでその硯を見たのかは明記されていない。その硯は、『結』では最終的にある人物に託されるが、現実には、半二が亡くなった後、一体誰に継承され、最終的にどこに行ったのだろうか。本当に『結』に描かれているように、その人物が持っていた可能性はあるのだろうか。いろいろと思い巡らすと、興味は尽きない。
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2024.08.29(木)
文=久堀 裕朗(大阪公立大学大学院文学研究科教授)