ボルダリングW杯で年間総合優勝を4度達成するなど数多の記録を樹立し、東京五輪では銅メダルを獲得した野口啓代さん(35)。ときに“女王”とも呼ばれる彼女は、日本のスポーツクライミング界を切り開いてきた存在だ。
「練習場所もスポンサーの協力もなかった」という黎明期、現役最後の試合となった東京五輪にかけた思い、そして今後の展望とは? 現在は1児の母であり、プロフリークライマーとして活動する野口さんに話を聞いた。(全2回の1回目/つづきを読む)
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育児や夫のサポート、仕事の合間を縫ってトレーニング
――東京五輪のスポーツクライミングで銅メダルを獲得し、その直後に引退されました。今はどのような活動をされているのですか。
野口啓代さん(以下、野口) 引退してまもなく結婚し、今は1歳を過ぎた娘がいます。乳幼児の頃は手が離せず、夫(※スポーツクライミングの楢﨑智亜選手)のサポートと娘の育児で精一杯でしたけど、この4月から保育園に通っているので、平日の昼間は仕事や自分のトレーニングができるようになりました。
――現役時代と何ら変わらない姿です。実際にクライミングもされているのですか。
野口 妊娠中はすごい体重増えちゃって。12kgくらい。でも出産してから2週間くらいで体重は元に戻りましたね。それでも筋力は落ちてしまったので、ウォールの上まで登って飛び降りられるようになるまで半年くらいかかりました。
もう五輪や世界選手権に出場することはないですが、プロフリークライマーとしてイベント、実技指導、講演などのお仕事もいただくので、体は今でも現役時代のように鍛えています。
実家(茨城県)の敷地内にウォールがあるので、登りたいと思えばいつでも。とは言っても、育児や夫のサポート、仕事の合間を縫ってやるしかないので、ちゃんとできるのは週2回ぐらいです。
心置きなく練習できる場所が限られていた
施設が完成したのは2年前の春です。私たち日本代表が東京五輪に向け、集中して練習する場所が欲しかったので、当時のスポンサーさんと父が協力して作ってくれたんです。それまでは心置きなく練習できる場所が日本では限られていたので。
2024.08.19(月)
文=吉井 妙子