穏当さというのはどういうことでしょう? 穏当さというのは通約できない価値のあいだで折り合いをつける能力です。そう、それには共感〔筆者注:原文ではempathy(エンパシー)〕、そして理解が含まれます。またそれには、理解できないことがあっても、どのみちそれを考慮に入れなくてはいけない、ということを受け入れることが含まれます。

 グレーバーは、「合理性でなく穏当さ」が重要なのだとも言った。他者を「judge」してはじいていくことは秩序ある社会を作るために合理的ではあるだろう。しかし、それはグレーバーの言った「穏当さ」とは違う。むしろわたしたちは多様性というカオス(混沌)を恐れず、自分の靴を履いてその中を歩いていけと彼は言っているのだ。ときに自分の靴を脱いで他者の靴を履くことで自分の無知に気づき、これまで知らなかった視点を獲得しながら、足元にブランケットを広げて他者と話し合い、そのとき、そのときで困難な状況に折り合いをつけながら進む。「穏当さ」はその日常的実践の中でしか育まれないとグレーバーは考えていた。それは大きなシステムでいっせいに、自動的に行えるようなことではないのだと。

「理解できないことがあっても、どのみちそれを考慮に入れなくてはいけない、ということを受け入れること」

 そこまでが「穏当さ」に含まれるとグレーバーは言った。ならばそれは、多様性の時代が提示する落とし穴ではないだろう。むしろ、それはすでに目の前に広がっているカオスから目を背けず、前に進むための叡智であり、覚悟のようにわたしには聞こえる。


「あとがき」より

他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ(文春文庫 ふ 50-1)

定価 825円(税込)
文藝春秋
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2024.08.07(水)