ブレイディみかこさんと言えば、歯に衣着せぬ小気味いい文体と、生活実感の詰まった深い考察で、階級や差別、格差、貧困、教育、フェミニズムなど多くの社会問題に切り込んできた気鋭の書き手だ。
このたび初めて長編小説を刊行。イギリス南東部の都市・ブライトンと東京とをつなげたZOOMでインタビューは行われた。
「”見えない子”たちを少女小説として書きたかった」
「2年くらい前に、文芸誌『MONKEY』にザ・スミスのモリッシーの歌詞にインスパイアされた初の短編小説を書いたことがあったんです。その後も『MONKEY』で短編の連載は続いていますが、一冊の本になるような長編は今回が初めて。私の中にあったある宿題を、どうしても少女小説として書いてみたいというのがありまして、作家の西加奈子さんとの対談で知り合った編集者に熱烈プレゼンしたんです」
かくて生まれた『両手にトカレフ』の主人公は、現代のブライトンに住む14歳の少女ミアだ。貧困や家族問題など困難を背負いながら、図書館の本で〈カネコフミコ〉という日本人女性に出合い、希望を見出していく感動作。
着想のきっかけは何だったのだろう。
「うちの息子がスマホの飜訳機能を使って、ついに『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(※ブレイディさんの著書。以下、『ぼくイエ』と略)を読破したんですね。息子くらいの世代はSNSもよく見るし、『ぼくイエ』についてどんなレビューが出ているか、どんな反応が多いかなども私より知っているくらい。その上で、あの本が明るい希望を描いたものとして取り上げられていることに、息子は違和感があったと。『これは幸せな少年と幸せな学校の話だけどさ、現実にはクラブ活動すらできない子どもたちがたくさんいるよね』。そう言われてズキッときたんです。ドラッグディーリング(薬物取引)に巻き込まれたり、ヤングケアラーとして小さなきょうだいの面倒を見ていたり。現実はもっと厳しいんですよね。私はそういう子たちの日常も知っているのに、『ぼくイエ』をめでたしめでたしの物語にしたことで、つらい境遇にいる子たちを見えない存在にしてしまったのかなと。その後悔がずっと、しこりのように残っていました。ならば、息子が言っていたように“見えない子どもたち”のことを書いてみよう、『ぼくイエ』は少年たちの話だったから今度は少女たちがいい。そう思ったときに自然と、金子文子(※以下、文子と略)の子ども時代とも結びつきました」
「フィクションにした方が現実をもっとリアルに伝えられる」
冒頭から、過酷な境遇が伝わってくる。つんつるてんになった中学校の制服を着て、空腹に耐えるミア。図書館ぐらいしか時間を潰せる場所はなく、暖を取り、フルーツやチョコレートバーの食べ残しがあるのを期待する。それもこれも、ミアの母親が薬物中毒で、生活保護のお金をみな白い粉に使ってしまうせいだ。ミアは日々、8歳の弟のチャーリーの世話をし、弟をいじめからどう守るかに頭を痛める。
「私自身、貧困家庭で育ちました。地域にあるのはヤンキー校と言われる学校。高校で進学校に行ったら、やっぱり親が弁護士とかエリート層の子どもが多くて、同級生に自分の家の事情など言えなかった。定期のお金とかをアルバイトで稼いでいたのですが、それが先生に見つかって『そんな家庭がいまどきあるわけがない。遊ぶ金がほしくてバイトしてるんだろう』と叱られました。日本が一億総中流と言われていた時代なので、先生も想像できなかったのかもしれませんが、『目の前にいるのに、見えない存在として扱われている』という思いがありましたね。そんな中で、文子がミューズというかヒーローというか、心の支えだったのも同じです。自伝的要素も結構あるし、私自身の10代のころに感じていたことも入っています」
何より、本書には小説という形で書かれるべき大きな理由があった。
「『THIS IS JAPAN』では労働問題のルポに近いことをやりましたが、もともと私は王道のノンフィクションの書き手ではありませんし、書いているものはエッセイに近い。ただエッセイだとしても、結局は、本人が書かれたくないと思っているその人のずるい側面や、ドロドロした本音はやはり書けないものです。すると、出てくるのがみないい人になる。ほっこりするいい話で終わっちゃう。書かないでと言われたら、書けません。そうしたノンフィクションの限界というのも感じていました。だからフィクションにした方が、現実や実態をもっとリアルに伝えられると考えたんです」
2022.06.11(土)
文=三浦天紗子
撮影=Shu Tomioka