一九三九(昭和一四)年、前年に「文學界」(九月号)に発表した「乗合馬車」他によって第八回芥川賞を受賞。女性初の快挙であった。「乗合馬車」は異国暮らしを余儀なくされた外国人の親族たちとの触れ合いを綴った作品で、後に連作小説『まりあんぬ物語』(一九四七、鎌倉文庫)として中里文学の中軸を担うものとなった。本書の「II 旧友たち」に収録された「横顔」の横光利一、「生涯一片の山水」の川端康成、「河上徹太郎さん逝く」の河上徹太郎のいずれもが、「文學界」の同人であり、恒子の才能を高く評価して畏友として彼女を育ててきた人々である。ことに横光利一からもたらされた「書き過ぎてはいけない」ということばを恒子が生涯大切にしたことはよく知られている。素直に導かれ、面白さを知ると静かに徹底した努力を重ね、手解きをした者が想像もしなかった境地に至る――川端康成や河上徹太郎ら、横光利一よりも長く生きて、中里恒子の文学者としての成長を見守った人々は、瞠目したに違いないのである。「III 本と執筆」には「俳句と小説の差(抄)」が収められているが、俳句の世界に恒子を導いたのも横光利一であり、恒子は後に「銀座百点」の忘年句会のメンバーを長年にわたって務め、句作の妙味も味わい尽くしたようである。

 一九五六(昭和三一)年、アメリカに留学していた一人娘・圭子がアメリカ人と結婚するという知らせを得てショックを受けたが、「わが庵」に一人で暮らし、書き続ける決意を固めた後に待っていたのは、ゆっくりと止むことなく晩年まで続く円熟の季節であった。

 それぞれに年を重ねた男女の恋を清新な筆致で描いた『時雨(しぐれ)の記』(一九七七、文藝春秋)はベストセラーになりドラマ化や映画化されたことでもよく知られている。が、同年に刊行された『ダイヤモンドの針』(講談社)と題する、恒子自身の結婚と離婚の経緯を冷静で精緻な筆運びで綴った懺悔(ざんげ)録、この二冊が併せ読まれてこそ、中里文学の真価が解ると言っても過言ではない。自由恋愛などとは無縁に、生きる方途として制度としての結婚を選び、真摯に生きて来た人々の中に在る、一世一代、好む人と好むように生きることへの希求。中里恒子が七十代を前に至りついた一つの文学的境地は、大人の恋を愛欲の場としてではなく、出会った二者の言葉遣いや振る舞い、佇まい、暮らしの隅々に行き渡る気配の交響として描き切ることにあった。書画骨董の好みや、歌舞音曲、茶や花のたしなみについてやりとりする恋人たちは間違いなくスノビズムに陥るものだが、『時雨の記』や『(あや)の鼓』(一九八五、文藝春秋)がそれを免れているのは、趣味趣向が自身の出身階層や地位を語るものではなく、彼等自身が自在の境地に在る証しとして描かれているからに他ならない。「IV おんならしさ」に収録されている「今朝の夢」が「婦人之友」(一月号)に発表された一九七八年は、『ダイヤモンドの針』と『時雨の記』が刊行された翌年に当たる。二十二年振りに渡米し、娘が彼の地に永住する意志が確固たるものであることを知った後、中里恒子は書斎の増築を実行している。七十歳を目前にした決断であった。「ひとの世の思いは深くなる、まだ未来がある」というマニフェストに違わず、中里恒子は七十七歳の死の直前に至るまで、「わが庵」での暮らしを慈しみながら、旅を楽しみ、ペンを執り続けたのである。

精選女性随筆集 中里恒子 野上彌生子(文春文庫 編 22-10)

定価 1,100円(税込)
文藝春秋
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2024.07.25(木)
文=金井 景子(早稲田大学教授)