「食べ物の味を表わす言葉は、まろやか、こくがある、滋味深い……数え切れないほどあるけど、その食べ物が美味しければ美味しいほど一言では収まりきれない。読書だって同じで、言葉をかき集めてその面白さを表わそうとするけど、言葉が、自分の語彙が足りないって感じるんだよ。結局読み終わっても、ずっとその本のことを考えている」

「そっか……読み終わっても、読書はずっと続いてるんだね」

 この言葉を聞いたとき、沙羅の胸に湧き上がった心情を想像してみる。彼女は万葉が、自分と同質の認識を抱いてくれていることを鋭敏に感じ取っていたはずである。

「読み終わっても、読書はずっと続いて」いるように、万葉と沙羅のあいだにも互いのことをおもう時がある。多くの小説は、ここに恋という心情を当てはめる。

 この小説の大きな魅力は、恋とは別種のおもいによって人は、他者とつながり、そこに生きる意味の片鱗をかいま見ることができることを描き切っているところにある。恋愛も一つの愛のかたちには違いないが、それはしばしば燃え尽きる。沙羅と万葉のあいだにも愛がある。しかし二人はまだ、それに明確な名称を与えることができないでいる。沙羅も万葉も、自分たちが経験しているのが「好き」とは次元を異にする人生の地平であることだけは、心の奥でしっかりと感じ取っている。それでよいのである。愛とは、語る対象である以前に、生きてみるほかない一つの道のようなものだからである。

 愛の道を見出すのは簡単ではない。しかし、文学に秘められた幾つかの言葉は、その暗がりの道を照らす光になり得ることを、この小説は教えてくれている。

万葉と沙羅(文春文庫 な 89-1)

定価 825円(税込)
文藝春秋
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2024.07.11(木)
文=若松 英輔 (批評家、随筆家)