ターニングポイントは一杯の魚介豚骨ラーメン

――「様々な味覚を通して時代の流れを描きたかった」とSNSで発信されていましたね。「はじめに」を読むと、とあるラーメンの人気が澁川さんにとってひとつのターニングポイントになられたような。

澁川 はい、2000年代前半に人気を集め始めた魚介豚骨ラーメンです。当時、とある有名店の一杯を食べて味の濃さに驚きましたが、若い人たちの行列は絶えない。つまりウケているわけで、これは何なんだろうと。ちょうど同時期、味覚の研究が飛躍的に発展していました。『コクと旨味の秘密』(伏木亨著 新潮新書 2005年発売)には料理のコクを生み出す三要素として「糖、脂肪、ダシのうま味」が挙げられています。

――人間をやみつきにさせる三要素ですね。

澁川 生理的に絶対おいしいと思う要素がラーメンには詰まっているわけで、なるほどと。それらのおいしさを追求した結果、生まれたのが魚介豚骨ラーメンのあの濃厚な味なんですよね。日本のラーメンが世界中の人々を虜にしているのも納得がいきました。そのとき以降、個人的な味の好みにとどまらない、「集合的な味覚」の変化を意識するようになりました。

――若者が支持する味にピンと来なくなるときってショックというか、「俺も老いたなあ……」なんて思いがちだけど(笑)、学究的方向へいくのに脱帽です。

澁川 いえ、私も最初は「もうついていけないのか……」なんて思ったんですよ(笑)。

――各章で「日本人と○○味」の戦後史が語られますが、うま味のところひとつとっても、うま味調味料に関する毀誉褒貶や、家庭料理における出汁の形の変遷など、細かく書き出していくとトピックは膨大にある。絞り込むのも大変だったのでは?

澁川 なんにせよ「社会との接点」を第一に考えました。どっちがおいしい、いい悪いを書きたいわけじゃない。味の特性を考えるうち、社会的な論点に繋がっていくのが面白かったです。たとえば苦味のおいしさを味わうには経験が必要なのですが、そうなるとそれぞれの育った地域や家庭環境、経済事情などが影響を及ぼすわけです。また専門家ではないので、科学的な話にはし過ぎないということも注意していました。

――塩と日本人について調べるうち「自然」食への強い幻想を感じたとか、辛味は食エンタメ的に盛り上がりやすい、酸味はフードファディズムを背負わされやすいなど、「味覚と日本社会」の様々な形が浮き彫りにされていきます。

澁川 味、ひいては食に対する人々の態度とは、その社会の一面を表すと思っています。食の流行が人々の欲望とどう結びついているのか明らかにしたい。そこにたどりつくまで、ひたすら資料の海をさまよいました。楽しくも、しんどい時間でしたよ(笑)。

2024.07.11(木)
文=白央篤司
写真=平松市聖