和田 あの図書室で、それに気がついたんですね。
一人の人間になりたくて、生きてきた
田嶋 本当はその前から気づいてはいた。母親の言葉からね。母は戦争体験から、夫が戦場に行った後、女は食っていけないことに気づいた。それで女も仕事を持たなければと思って、私に勉強させた。
一方で、私がお転婆だったので「女らしく」しろと、しつけた。私の中では、経済的自立のための努力と女らしくすることとは矛盾した。つまり、青信号と赤信号を一緒に出されたようなものだった。今では、ダブルバインドと呼ぶかもしれない。それで私は病んだ。
和田 親だからって言いたい放題はひどい。
田嶋 母が病気だから、病気にさわるといけないと思って、私は口ごたえができなかった。大人になって46歳を過ぎてから初めて、母親に「これは自分の問題だから、自分に決めさせて」と言えた。
和田 あきらめずに自分の想いを深く考え続けてきたのが田嶋先生ですよね。
田嶋 ずっと親や学校の先生から「これは違う」「おまえが悪い」「間違えている」と頭ごなしに言われ、何かある度に自分なりに必死に考え抜いて、どっちが正しいんだろう、自分はどう生きたいんだろうと考えてきたから、ちょっとぐらい何か言われたって自分の考えを曲げはしない。
和田 フェミニズムは田嶋先生にとって血肉である、ということですか?
田嶋 「フェミニズム」という言葉は、子供の頃の私の中にはなくて、長じてから「ああ、これがフェミニズムなんだな」というだけ。私は一貫して田嶋陽子という一人の人間になりたくて生きてきた。
今は、私の考えてることはフェミニズムなんだな、フェミニズムが私を応援してくれているんだなと感じている。「フェミニズム」とか「ウーマンリブ」とか、いろんな言い方が私の上を通っていくような感覚で、私自身は変わらない。
和田さん、あなたのお母さんと同じよ。あなたのお母さんもフェミニズムなんて言わないでも、すごい人じゃない。あなたの本(『50代で一足遅れてフェミニズムを知った私がひとりで安心して暮らしていくために考えた身近な政治のこと』)を読みましたよ。
2024.06.27(木)
文=和田靜香