まあそんなもんだよねと思って、趣味の範囲で一生カメラをやろうかなと思っていた35歳の大晦日に、たまたま公園でアメショ柄の猫、「ぶさにゃん先輩。」に会って。「ぶさにゃん先輩。」って、勝手に僕が名付けたんですけど。

 

――後に『ぶさにゃん』として写真集にも載った猫ですね。なにかビビッとくるものを感じたんですか?

 語り始めるとキリがないんですが(笑)、まず、絶対的“家猫感”があるにもかかわらず、なぜか外にいる。身体はふくよかで、顔はつぶれ顔。自分が好きだったロシアンブルーとかアビシニアンみたいなスマートな猫の対極にいる子でしたが、妙に惹かれて、次の日から休憩時間の度に撮りに行くようになりました。被写体としてはじめて撮った猫が、ぶさにゃん先輩。になったんです。

「会社のSNS、どうせ社長も見てへんから好きにやったれと思って…」

――ぶさにゃん先輩。を撮っているときは、スカイツリーやスイーツとは違う“撮り応え”がありましたか。

 社長からちょうどインスタグラムの担当も任されていたんですけど、何をアップしても反応は薄いし、どうせ社長も見てへんから好きにやったれと思って、ぶさにゃん先輩。の写真を上げてみたんです。そうしたら意外と反応が良かったので、世界のどこかで僕の猫写真を喜んでくれる人がいたらいいなと思って、毎日1枚アップしはじめて。

――それが「猫専門写真家」になるきっかけになったんですね。もともと、猫はお好きだったんですか。

 猫自体は好きでしたけど、それまではみんな同じ「猫」と思っていました。でも、よくよく見ていると、実は一匹ずつみんな心があって、全く別ものというか、みんなかわいいんだなと思えてきて。そういういろんな猫たちの心が見える瞬間を撮れたらいいなと思って、被写体に対して深掘りするようになりました。

 そうこうするうちに1年がたって、ある日、朝の打ち合わせが終わってすぐに「会社辞めよう」と思い立って、そのまま昼には辞表を出していました。

2024.05.16(木)
文=小泉なつみ