就職せずバンド活動を続けて…

 大学卒業後、就職はせずにアルバイトで食い繋ぎながらそのままバンド活動を続けた。大学卒業ギリギリ前に大学の近くに引っ越してきたが、バンドの活動拠点は東京だったため、またしても遠かった。CDデビューを果たしてほどなくメンバーチェンジも幾度かあり、一人また一人とオセロを裏返すようにメンバーが東京在住者へと変わっていった。練習で入るリハーサルスタジオも千葉から神保町、代々木、笹塚と西へ西へと遠ざかっていく。同業の友達と飲むのも基本的には世田谷周辺だった。既に東京に通うことは慣れっこだったが、東京に住んでいる者からしたら千葉というのはとんでもなく遠い場所だという認識のようで、飲みの席も終電を意識してか若干迎える側の肩に力が入るような気がして、普段の彼らのご近所同士の飲みの感じとは違うんじゃないかと少し寂しくなった。

 バンドも少し軌道に乗り出した頃、ようやく東京に住むことになった。それでも遠かった。東京に居ながらにして一番遠かった。世田谷から。世田谷に住まなかったのだから当たり前だ。相も変わらず私の小さな世界は世田谷を中心に回っていた。それはただの多数決なのか、誰か自分の世界の中で強力な存在感を放つ者が暮らしているからなのか。そして私にとっての遠いはあなたにとっても遠いはずなのに、どうしていつも私が遠いのか。近い人はどうやってその近さを手に入れたのか。気になる。ただ今回の人生ではどうも近い側にはなれないような気もしている。

 近いということと近づくということはけっこう遠いのかもしれない。遠くにいた私というのはつまり常に近づく側の存在だった。遠いことを嘆く反面、環境を自分で選べるようになってもなお近くにいないのはなぜだろう。近づくという行為そのものに興奮する変態なのだろうか。遠いことで心理的安全を図ろうとする臆病なのか。

 遠いということにはそんな不安も付き纏ったりするが、実はある種の自由であるとも思う。小学校の頃は誰よりも道草を食って町のことも知れたし、思い出の数も学校内のこと以上と言うと言い過ぎかもしれないけれど同じくらい下校中にある気がする。学校の目の前に住んでいた子は駄菓子屋のラインナップの変化にも気付かないし、下校途中の酒屋さんが飼っていたハスキー犬とのグルーヴも、毎日通って挨拶していた私の方が高かっただろう。犬とは仲が良い方がいい。

 大人になっても例えば電車通勤通学なら好きな本を読んだり音楽も聴ける。何より一人の時間を持てる。自分の中にある哲学を育てたり自問自答をして自分なりの答えを見つけていくという作業は一人の時間がないとなかなか十分にはできない気がする。孤独もまた人との関わりと同様に人生に欠かせない要素だ。

 散々長きに渡って遠かった身として、過去の肯定も兼ねて遠いを肯定してみたが、今年は今までの人生で一番近い人間になる予定だ。近い人になったら、中身も近い人に果たしてなるのだろうか。それともなんだかんだと理由を探して物理的には近くても心は遠い人として染まらずに過ごすのだろうか。この近い・遠いというニュアンスが実際にどれだけ自分の人生や性格に影響を与えるのかが気になっている。でも既に、人生の一山を越えたらまた遠い人になりたいイメージがあるので、本質的に遠い側の人間なんだろうなあとも思う。でも遠い方が、人と会うときに来てもらうというより会いに行くという気持ちが強くて、そんな自分は嫌いじゃないし、無駄の無い人生ってちょっと怖いから、最終的には一番ちょうど良い遠さを見つけることが人生の一つの目標かもしれないとほんのりとだけ思った。

橋本薫(はしもと・かおる)

1990年代のオルタナ・ロックやインディ・シーンからの影響を受けつつも、独特の世界観で若者に支持されるロックバンドHelsinki Lambda Club(ヘルシンキラムダクラブ)のボーカルギター。福岡県出身。B型。
Helsinki Lambda Club Official Site
https://www.helsinkilambdaclub.com/

Column

DIARIES

編集部が注目している書き手による単発エッセイ連載です。

(タイトルイラスト=STOMACHACHE.)

2024.05.01(水)
文=橋本薫(Helsinki Lambda Club)