『夜と霧』V・E・フランクル(霜山徳爾訳・みすず書房) 選/小川洋子(作家)

 初めて『夜と霧』に出会ったのは高校の図書室だったと思うが、その時は巻末に収録された写真の惨さに圧倒されるばかりで、フランクルの言葉を受け止めるだけの余裕がなかった。枯れ木のように積み上げられた死体の山や、袋詰めにされたガス室の犠牲者の髪や、人間の皮で手袋を作ったイルゼ・コッホの写真の前では、どんな言葉も無力に思えた。

 ようやく心を落ち着けて本文と向き合えるようになったのは、二十代で小説を書きはじめてからだった。フランクルは自分が被った暴力の残忍さを声高に訴えてはいなかった。あれほどの理不尽にさらされ、文字通り命以外のすべてを奪われたにもかかわらず彼は、“すなわち最もよき人々は帰ってこなかった”と記した。極限状態に置かれた人間の内面をただひたすら凝視することによって彼が救おうとしたのは、自分自身ではなく、死者であったのかもしれない。

 一人の囚人がジャガイモを盗んだ罪により、収容者全員に絶食の懲罰が与えられた夜だった。寒さと飢えが頂点に達した時、フランクルはブロックの代表者から、これ以上の自己放棄に陥らないため、精神医学者として話をしてほしいと頼まれる。その夜はフランクルが収容所で本来の自分の職務を果たす、ほとんど唯一の機会となった。

 彼は自分たちの過去は永久に確保されていると語る。たとえ財産を没収され、名前を消され、髪を刈られようとも、記憶が奪い去られることはない。光は予測不可能な未来からではなく、過去から射してくる。

 そういう確かな手ごたえを呼び覚ました上で彼は、自分たちの犠牲に意味を与えようとする。この苦痛と引き換えに、愛する人の苦痛が取り除かれるよう天に願えば、自分の犠牲は究極の意味で満たされる。

 フランクルが話し終わった時、やせ衰えた仲間が目に涙をため、よろめきながら近寄ってきた。彼に感謝を述べるためだった。

2024.04.12(金)