福田恆存が巻末に文を寄せていた。

「『触手』はヨーロッパ文学の今日の水準に達してゐる作品であり、その土地に移し植ゑても依然として新しさを失はぬものであるにそういない」、「知性の文学であつて、一見さうみえるやうに感覚の世界にあるものではない。したがつて、その精神はあくまで実証主義的である」

『触手』を読んで文学を志したと熱っぽく語る若い人に、私はどれほど多くめぐりあったことだろう。自分には全く遠い感性や思考の作者に魅いられ憧れて、生涯のある時期、私は濃密な愛と苦悩を分ちあった。文学の手ほどきを受け、小説家として育てられた。しかし彼自身は『触手』を超える作品に恵まれず、舌ガンで六十八歳の苦悩の生涯を閉じた。

『アブサロム、アブサロム!』フォークナー(篠田一士訳・河出書房新社) 選/木田元(哲学者)

 八十四歳になってしまった。病後でもあるし、生きているうちに読める本の数はどんどん減っていく。もうアタリハズレのある新しいものに手を出している暇はなさそうだ。むかし一度読んで深い感銘を受け、いったいなににあれほど感動したのだろうか、ぜひもう一度確かめてみたいと思いつづけてきた本が何冊かある。それを読みなおしてみるので精いっぱいだろう。

 なかでも気にかかっているのが、フォークナーのこの本だ。第二次大戦後、三十歳前後のころ、サルトルやクロード=エドモンド・マニーといったフランスの評論家たちに教えられて、アメリカのいわゆる「失われた世代」の作家たちを夢中になって読んだことがあるが、圧倒的だったのがフォークナー、殊にこの作品だった。

 フォークナーは、自分の故郷、アメリカ最南部のミシシッピ州にヨクナパトーファ(「裂けた土地」という意味のインディアン語)という名の架空の郡と、そこに住む十ほどの架空の家系を設定して、その小宇宙を舞台に、生涯かけて七十篇ほどの長短の作品を、多様な前衛的手法を駆使しながら書いたが、『アブサロム、アブサロム!』は、その「ヨクナパトーファ伝説群」と呼ばれるものの頂点をなす作品である。

2024.04.12(金)