フレディの「不在」が示す圧倒的な存在感
亡くなった人々は「去る者は日々に疎し」で、忘れ去られてゆく傾きがある。しかし、特別な「不在」となると、同時代人の思い出や嘆き、哀惜の念、怒り、憧れなど何かとてつもないもろもろを吸引して、現実の世界で圧倒的な重みのある「存在感」を示すこともあるのだ。
そんな「不在」を母胎にして、伝説化が進行していく。しかも、フレディの伝説は、同時代人がまだ生きているがゆえに、うっすらと体温を帯びている。
ギリシャ哲学で究明の対象となった「プネウマ」という概念がある。大いなるものの息、存在の原理、聖なる呼吸、超自然的な存在、善なる天使、悪魔など多義を含んでいるという。声は、人間が外部へと吐き出す呼気・息とともに発せられる。
音源などに残されたフレディの歌声には、まさにプネウマが宿る印象が強く、その息のぬくもりが今なお現代のファンたちの頬を撫でるともいえる。
ブライアンが1人でステージに現れ…
今回のライヴでも、ギター片手にブライアンのみがステージ中央に現れる場面があった。ブライアンにピンスポットが当たり、フレディによるバラード曲「ラヴ・オブ・マイ・ライフ」と、ブライアンの曲で日本語の歌詞を含む「手をとりあって」を演奏した。
前回の来日公演と比べて、記憶の糸を繊細に手繰り寄せるかのように、静謐で囁くようなギターの音色だった(2月7日、京セラドーム大阪)。
「ラヴ・オブ・マイ・ライフ」の終盤、フレディが映像で登場すると、ひときわ大きな歓声。艶とまろみを帯びた声が流れた。映像のフレディは、シングアロングする観客とコール&レスポンスを展開した。
日本でも何度か披露している演出スタイルだが、ブライアンたちがここに込めているのは、忘れがたなきフレディへの思いだけではない。若き日のクイーンの、世界でのブレークスルーを後押しした日本のファンへの深謝の念を重ねているのだ。
2024.02.29(木)
文=米原範彦