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 歌舞伎座の初春公演では『京鹿子娘道成寺』と『江戸みやげ 狐狸狐狸ばなし』の異なる表現アプローチの役で、女方として存分に魅力を存分に発揮していた尾上右近さん。南座で恒例となった「三月花形歌舞伎」では上方歌舞伎の代表的演目『河庄』に立役として挑みます。また新たな世界が広がる予感いっぱいの右近さんの2024年の展望とは?


ヒーローでない主人公の物語が好き

――『河庄』の治兵衛は妻子ある身でありながら遊女の小春を本気で好きになってしまう男性。今風にわかりやすく言うなら、治兵衛の不倫関係を解消するために周囲の人がさまざまな思いで行動するなかで起こる物語。治兵衛という人物をどのようにとらえていますか?

 ちょっと言葉が変ですけど、男性の女々しい部分がずる剥けてむき出しになっちゃっている、そんな感じです。もう本当に「いいかげんにして!」と言いたくなるような言動がいっぱいで、ある意味くだらない話と言ってしまえばそれまでなのですが……。何ともいえないおかしみがあって笑っちゃう、そんな芝居です。

――そのおかしみにこそ、上方歌舞伎の真髄があるわけですが、“江戸の役者”である右近さんが、今の年齢で上方の和事芸の傑作である『河庄』に挑戦されるとは驚きました。

 実際、反対意見もありました。でも近松門左衛門歿後三百年企画でもあることですし、ぜひとお願いしたんです。治兵衛の設定年齢は30歳ですからひとつ年下。自分には妻子こそいませんけれど、治兵衛の思いをリアルに実感しつつも「おいおい、そこはちょっとさあ……」とか言いたくなる。今の自分が演じたらどうなるだろう、と思いました。

 上方の芝居は主人公がヒーローでない物語が多いのですが、その空気感がとても好きなんです。舞台では顔を白く塗って髷をつけた姿でありながらも、ご覧になっているお客様が等身大の右近を見ている気持ちになってしまうくらいのところまでいけたらと思っています。

――いつの時代も変わらない人間の心情が描かれているからこそ、ですね。まあ、現実問題として治兵衛のような人が身内にいたらとても困りますけれど。

 それこそ芝居ならではの愉しみで、人ごとだから笑っていられる。で、笑っているうちに、いつのまにか物語は笑えない方向に進んでいってしまう。あんなふうには生きられないと思いながらも人は架空のこととして共感をし、そこから感動が広がっていくのだと思います。

――現実社会では建前というものがありますから。

 心のなかで思っていることと人に言うことは必ずしも同じではない。ところが治兵衛という男は自分に嘘がつけないわけで、『河庄』の魅力はそこにあるのだと思います。可愛さあまって憎さ百倍という言葉がありますが、その相反する感情のなかで揺れ動いているのが治兵衛という人物だと思います。

――昨年の「三月花形歌舞伎」では『仮名手本忠臣蔵 五・六段目』の早野勘平を江戸のやり方でなさったことを思うと真逆ですね。

 あの時は上方のやり方でなさった(中村)壱太郎さんとのダブルキャストで、京都でやってみて「江戸ではそうやるのか」という空気を感じ、地域による違いや特色があることを肌で知りました。どこかアウェイ感のあった去年を思えば、今年はがっつり媚びにいった(笑)、という感じでしょうか。とにかく関西で長くこの芝居に親しんでいらした方々にも受け入れていただけるようにできたらと思います。

2024.02.09(金)
文=清水まり