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 尾上右近さんの2024年は歌舞伎座「壽 初春大歌舞伎」で幕開け。昼の部では喜劇『江戸みやげ 狐狸狐狸ばなし』で奔放な女性・おきわを軽やかに演じ、夜の部では15日から女方舞踊の大曲『京鹿子娘道成寺』を艶やかに踊り、可憐な女方として観客を魅了しています。時代を見据え、今を生きる歌舞伎俳優としての右近さんの思いをお届けします。


『道成寺』に宿る裏テーマとふたつのアプローチ

――夜の部の『京鹿子娘道成寺』はぜひ観てみたい歌舞伎の演目のひとつだと思いますが、右近さんご自身はどんなふうにとらえていますか?

 見た目にも華やかで衣裳も小道具もポンポン変わって面白いですし、歌舞伎をよくご存じの方だけでなく、本当に歌舞伎を初めてご覧になる方でも楽しめるものだと思います。歌舞伎が必要とする演目であると実感できる舞踊で、歌舞伎をやっていく上でこの作品に必要とされる存在でありたいと思います。

 表現の方法には大きくふたつのアプローチがあると思うんです。ひとつは立役を演じることの多い人が、技量だったり体力だったり肉体の臨場感で楽しませる路線です。もうひとつは、心から愛した男性に裏切られた女性の情念というテーマに重きを置いた女方ならではの魅せ方。

――踊りにはストーリーがあり、主人公は白拍子花子実は清姫の霊​。テーマ重視の魅せ方というのは、恋の恨みから蛇体と化した清姫の伝説をベースとする作品世界を、より強調するということですね。右近さん自身が目指しているのはどちらでしょうか。

 僕は立役も女方も演じるので、双方を行ったり来たりしたいと思っています。まだ若いですから体力には自信がありますし、身体を動かせるだけ動かして歌舞伎座の舞台いっぱいに踊りたいという思いが強いです。それと同時に内面的な心情をお芝居として演じるということも追求していきたい。

 時間をかけてブラッシュアップされてきたものというのは、きれいに見せることに終始すれば限りなくその完成度を上げていくことが可能です。そこを敢えてきれいになりすぎない方向で、今を生きている人間の生々しさが溢れるような『道成寺』を目指したいと思っています。

――それが両者を行き来するなかで目指す到達点。その行き来の具合やそれぞれにかかる比重は、これから回数を重ねていく中で新たな解釈が生まれたり微妙に変化したりするのでしょうね。

 この舞踊には、人の念が残るものを華やかに劇化することによって鎮魂する、表裏一体のエネルギーというものを感じます。お客様に喜んでいただき、役者はその役を勤めることによってその魂を慰め喜ばせる。歌舞伎にはそういった類の作品が他にもあり、そうしたことをこのごろはとても意識するようになりました。

――『京鹿子娘道成寺』に初めて挑まれたのは昨年8月、自主公演「研の會」でした。その経験が大きいのでしょうか。

 それもひとつだと思いますが、ただあの時は自分のやれることを突き詰めることで精一杯でした。当時の映像などを振り返って思うのは、『道成寺』というものをつくってきた人たちの力です。例えば演奏による音楽の力や衣裳の変化などさまざまな、感覚的センスを含めた素晴らしさ。自分が踊ることができるのはこの舞踊に携わって来たたくさんの人の存在があるからで、これに限ったことではなく自分の力だけではないと思うことが増えてきました。

――今現在、支えてくれている方々に限らず、ということですね。

 江戸時代から現在までにはさまざまな『道成寺』を試して来た歴史があり、偉大な先人がヒットさせたやり方もあれば時代の変化で思考や好みが変わって消えていったものもある。置いてけぼりにされた『道成寺』に宿る負け取られた役者の念に思いを馳せるのも、この作品の裏テーマなのではないかと思うんです。

2024.01.20(土)
文=清水まり