中学では静岡県沼津市の海で3キロメートルを泳ぎ切るなど、スポーツも万能だ。一方で、チェロを演奏し、オール学習院の集いなどでオーケストラの一員として陛下とともに舞台にも立ち、18年には英国の「イートン・サマー・スクール」プログラムに参加、英語にさらに磨きをかけた。来日した欧州の王室の方とも英語で会話している。

 高校卒業時は、平安時代の猫と犬に関して文学作品を通じて考察したレポート(400字詰め原稿用紙60枚以上)を提出、そうした関心が大学での専攻に結びついており、目下、最低2万字以上がノルマの卒論に取り組んでいる。

 こうした愛子さまの聡明ぶりも相俟って「女性天皇容認論」も巷間語られるようになった。国民にとっては、将来の皇室像の選択肢が広がっていると言えるかも知れない。

広い意味での帝王学

「講堂の天井の高さはどのくらいありますか」。宮内庁の幹部は、悠仁さまからこんな問い合わせを受けた。秋に宮内庁職員組合主催で庁舎3階の講堂で文化祭が開かれ、手工芸品、絵画などの作品を展示、両陛下はじめ皇族方も出品する。

 悠仁さまは小学校低学年の時、厚手の紙で作った実物大の交通信号機を出品した。普段は大きさを意識することはないが、間近で見るとかなりのサイズだ。赤青黄色に点滅する装置も付け、見た目は本物そっくり。信号機を取り付けるポールの高さをどのくらいまで伸ばせるのか、会場の天井の高さを確認したのだ。「作品は精緻で精巧、事前に高さを確認する用意周到さに驚いた」と幹部は振り返る。

 

 23年9月の誕生日に当たって、宮内庁は、悠仁さまが農業・食品産業技術総合研究機構(茨城県つくば市)に夏休みに一人で訪ねた時の映像を公表した。悠仁さまの農作物への関心は3歳から始まっている。両親らの野菜作りの手伝いから入り、これまでインゲン豆、トマト、キュウリ、スイカなど十数種類の野菜を自ら栽培してきた。稲作は、小学生から始め、当初は容器を使っての栽培だったが、16年に赤坂御用地の空き地に1アールの田んぼを作って本格的に栽培するようになった。土地の掘り起こし、畦塗りまでこなし、毎年稲の交配実験もしている。

2024.01.19(金)
文=大久保和夫