足立 『百円の恋』が公開されたのが2014年の暮れだから、42歳か。その頃も、まだバイトしてましたね。妻は勤め人で、僕は近所のスーパーで早朝の品出しを。バイトは20代後半から、ずっとやってましたよ。

――バイトの遍歴を教えてください。

足立 珍しいバイトはしてないですけどね。それこそ100円ショップの経験で『百円の恋』を書きましたし。ラーメン屋というか中華屋というか、そこは結構長かったな。とりあえず飲食店が多かったですかね。ただ、飲食店ってやっぱり若い子が多いので、30代後半ぐらいからは「なんかいづらいな」と感じて。

 

――同じ場所に長く働いていて、若い人ばかりだと「紳さん」などと呼ばれて慕われたのでは。

足立 「バイトのほうに流れていってるな、俺」という感覚はありましたね。それで、スーパーの早朝品出しをやるようになったんですよ。思った通り、スーパーの品出しバイトにはあんまり人に会いたくないんだろうなという雰囲気の人たちが多くて。

 2015年あたりも、まだバイトしてましたね。『百円の恋』の後に3本か4本ぐらい映画をやってから、なんとなく脚本だけで食えるようになってきて。

松田優作賞の脚本賞でグランプリ

――それも踏まえて『百円の恋』は、感慨深い作品ですよね。

足立 『百円の恋』は、2012年、40歳のときに松田優作賞という脚本賞でグランプリを取ったんですよ。最終審査に残った3人が授賞式に呼ばれて、そこで受賞を発表されるんですけど、あの瞬間は今でも忘れられないですね。本当に「助かった」と思いましたもん。

 その後いくつか賞をいただけることもありましたけど、あのときの松田優作賞は格別です。賞金はダンチで一番安いですが、とにかく首の皮一枚つながったと。松田優作賞を立ち上げてくださった周南映画祭実行委員長の大橋広宣さんとは今でも懇意にさせてもらってます。その後一緒に映画も作りましたし。

 ただ、松田優作賞は映画化が決まっている賞ではないんです。だから、自分で「誰か映画にしてくれませんか」って1年ぐらい営業してましたね。

2023.12.16(土)
文=平田裕介