――どれぐらい回りました?
足立 古くから知っている人に「これ、どこかに持ち込んでもらえませんか?」みたいな感じで。『百円の恋』の監督をやってくれた武(正晴)さんは、松田優作賞を取る前からいろんなところに脚本を持っていって売り込んでくれました。何社くらいのプロデューサーが読んだのかな。たぶん、武さんと僕とで10社は持ち込んでいるんじゃないですかね。結局、東映ビデオの佐藤現さんが企画にのってくれて何とか成立させてくれました。あのとき成立してなかったら、多分いまもバイトしていますね。
――2016年に刊行された『乳房に蚊』(『喜劇 愛妻物語』に改題)から小説家としても活動していますが、きっかけは。
足立 『百円の恋』を見た幻冬舎の方が、「小説を書く気はありませんか?」って声を掛けてくれたんです。「なにか書きかけのものとか、映画にしようと思ってボツになったようなものでもいいので、あったら見せてください」とも言われて。
それで『14の夜』と『乳房に蚊』のプロットを読んでもらったら「面白い」と。すでに『14の夜』は映画化が決まってたので、『乳房に蚊』にして書き始めたんです。
妻に言われるがまま書いた処女作の小説
――それ以前に小説を書いたことって。
足立 1回書いたことがあったんですよね。あまりにも仕事がなかった、30代半ばの頃。脚本って書く仕事といっても、わりと共同作業なところがあるというか。監督とかプロデューサーとか、いろんなスタッフからさまざまな意見が来て、それに対応しなきゃいけないんですよ。
僕が四苦八苦してるように見えたのか、妻が「あんたコミュ障だから、そういう共同作業向いてないんじゃないか。独りでやれる小説書いて、新人賞に応募してみなよ」と言い出して。それで書いてみたと。
――奥さんの提言は、受け入れられましたか? 「俺は脚本家だぞ!」的な矜持が邪魔したりは。
足立 脚本家の矜持なんて1ミリも持ってませんでした。今も持ってませんけどね。で、『朝、泣く』って小説を書いたんですけど、自分のなかでかなり気に入ってて。どっかいっちゃったんですけど、残ってたら是非とも世に出したいくらいです。
2023.12.16(土)
文=平田裕介