家族に対してのセリフは、川村自身が考えた

 刹那の相手の灯(穂志もえか)は、高校教師。余命いくばくもない母親を安心させるために、刹那に結婚間近の恋人を演じてほしいと依頼してきた。しかし、いざ佳津子(坂井真紀)に会うも、「久しぶりに顔出したと思ったら、私を捨てるって話ね」と言われ、灯は病室を飛び出してしまう。

 ふたりが病院に向かう前に、刹那の着けているネクタイが母親の好みに合わないということで、洋服屋に行ってネクタイを選ぶシーンがある。1990年の映画『プリティ・ウーマン』の、ジュリア・ロバーツ演じるヒロインのセックスワーカーをレディにするために高級ブティックに連れていき、リチャード・ギア演じる実業家が彼女に洋服を買い与えるシーンの男女を逆転させているようで面白い。しかし、好みのネクタイを身に着けようが、うまく恋人である演技をしようが、母の佳津子はすべてお見通しであった。

 親子の話になると、多くの物語では「生んでくれた親に感謝し、親孝行しましょう」となるか、「毒親と呼ばれるような人とは離れましょう」という趣旨になるか、いずれかのメッセージが描かれることも多いが、この作品では、母と子だけでなく、家族というものについての刹那の視点が入ることで、そのどちらでもない「親とはいえ他人なのである」というメッセージが感じられるようになっている。

 家族に対する思いを語った刹那の長いセリフは、川村自身が考えたものということで、そこにも注目したい。

 冒頭に書いたように、デート・セラピストが女性たちの心を癒す物語というと、どうしても、ありきたりで甘いストーリーを思い浮かべてしまうが、この映画にはそのような甘さはない。しかし、そんな甘さのなさに、私はほっとしたところがあった。

 甘くて、ある意味、予定調和なラブ・ストーリーを見せられると、見ているこちらの欲望や、悩み、生きづらさを軽くあしらわれ、バカにされているような気分になるからかもしれない。特に女性向けの物語は、「こうすれば女性は喜ぶんでしょう?」という安易な思い込みを元に作られたものが多すぎる。女性が癒されたり喜んだりするポイントは皆同じとみなされることは、多様な女性がいて、その欲望や悩みも、ひとりひとり違うのだという当たり前のことがないがしろにされている気がするのだ。

2023.12.01(金)
文=西森路代