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恋愛表現において流行り廃りは意識しない

――本作で描いている恋愛について、今の現代の空気を反映させた部分はありますか?

 この作品はあくまで古典をやりたかったし、恋愛パートでそれは考えていませんでした。今の若い人たちを描こうなんてことを思うと、絶対に古くなっちゃうから、それはもう昔から一度も考えたことがなくて。言葉遣いも実際に使われているような流行り言葉そのままではなく、自分なりに変換してます。それに最近ではむしろ若い子の方がアーカイブ好きだったりするぐらいで、新しいも古いもあまりないような気もします。恋愛表現においても流行り廃りは意識していないですね。まあ、今と昔で変わっていないとは言わないけど、たかが数十年の変化なんて誤差みたいなものでしょ。

――素敵な写真を送り合う、二人の影を撮る、というシーンは、まさに恋愛におけるあるあるシーンでした。こういう描写は常にイメージとして持っていらっしゃるのでしょうか?

 メモをしてるのかとよく聞かれるんですけど、意外としていなくて。書いてると思い出すというか、思い出せたものだけが正解だと思って、とにかく頑張っているだけなんですよ。メモするよりも、書いているときに時間をかけて考えれば、リアリティのあるディテールも出てきます。

――本作において、ご自身のお気に入りシーンはどこですか?

 吉沢亮さんと宮﨑あおいさんがプライベートの変装をして、探偵じみたことをするあたりですね。その後さらにドレスアップをして二人で船内を回り、レストランで食事をしてバーでお酒を飲んで、というあの辺のくだりはちょっと好きです。ああいうシーンがあると、ラブストーリーを書いているなという感じがします。

役のことを一番考えているのは「俳優」

――主演の二人は「恋愛映画でいうところの脇役」という設定です。しかし、そもそも坂元さんの作品はどの登場人物もキャラクターが個性的で、脇を固める俳優の方々もあまり脇役という意識を感じない気がします。

 それはもう確実に、俳優さんのお力。僕は大したことなんて書いていないんですよ。幸いにして、本当に脇に至るまで素晴らしい俳優さんたちが出てくださるから、その方たちが肉付けをして、面白く演じてくださっているからこそ、そのように観ていただけているのだと思います。脚本家が全員の役のことを考えるにはやはり限界があるんですよね。それをやりすぎると話が進まないわけで。それにすべての役を面白くするには、決めすぎずに余白をつくるということも大事だと思います。

――それこそ、「脇役」という存在意識がないのかなと思っていました。

 その人たちも生きているから、当然脇役であってはいけないという考えはもちろんあるんですよ。でも、脚本でそれをやるには相当な技術がいるし、モブシーンにいたるまですべての人物設定をつくらないとできないですよね。脇の隅々の登場人物においてもどんな家に生まれたのかとか、今日の朝目を覚ましてからどんな1日を過ごしてたのかとか。役名もない店員の「いらっしゃいませ」って台詞だって、その店員のその時の感情とか踏まえてないといけないことなんです。その役はちゃんと生きているわけだから。それはとても大事なことですが、登場人物全員にそれをやり始めると、解像度が高すぎて僕の頭がおかしくなるのでなかなか難しいですね(苦笑)。もちろん頭がおかしくならない程度のことはしているし、直感でやってる部分もあるけど、むしろ演じている俳優さんたちの方がそれをちゃんとやっているんですよね。エキストラさんでも、俳優の卵の人でも。

 たとえば看護師の役で、「お薬どうぞ」っていう台詞をどう言うのか、演じる俳優さんは考えているわけじゃないですか。その人物がどんな人物像なのかも掘り下げながら。脚本家は、「お薬どうぞ」としか台本に書かないけど、それを演じてる俳優さんは、この台本もらって、この役の人はどうなのかと考えるわけです。シーンとしては一瞬で過ぎるし、その中で表現しきれないことかもしれないけど、やはり考えている。役のことを一番考えてるのは、俳優さんですね。それを邪魔しないようにするのも大切なのかなと思います。

2023.11.15(水)
文=綿貫大介
写真=橋本 篤
スタイリング=DAN(kelemmi)