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なにも生み出さない「ぼんやり」に時間を使って大丈夫?

 おそらく刺激を受けることに慣れすぎてしまって、自分の身体だけと過ごす感覚がなかなか取り戻せないのでしょう。みなさんも、そうなるかもしれません。

 そんな方でも、トライしつづければ絶対に「ぼんやり」できるようになります。マラソンと一緒です。最初は2キロ、3キロがやっとで、5キロも走れません。でもだんだん距離を伸ばしていくことでいつしか軽々と10キロ走れるように、心身がなじんでいきます。

 「ぼんやりタイム」も、最初は5分で構いません。それを10分、20分、1時間と伸ばしていけばいいのです。

 そのころには、どれだけ「ぼんやりタイム」によって脳や身体がリフレッシュできるか、実感も湧いているのではないかと思います。

 「ぼんやりタイム」がなじんでくると、生活になくてはならないものになります。「ぼんやりタイム」を取るのと取らないのとでは、心身のコンディションや、アイデアを出すときのスピードがまったく違うんですね。

 僕は「ぼんやりタイム」をだいたいお昼の3時~4時ごろに取ることが多いですが、もちろん予定が入っていたら適宜、午前中や夕方にずらします。いつ取るかは、それぞれのライフスタイルに合わせてください。

 ただ、できるだけ定期的に取ることが大切だと感じています。仕事や生活、趣味、子育てなどあわただしい日々の中、毎日ぼんやりするのはむずかしいかもしれませんが、それでも優先して「ぼんやり」する。

 一生懸命生きていれば、知らず知らずのうちに頭も心も使いすぎてしまうものです。だから、意識的にスイッチをオフにする時間を取りましょう。

 ちなみに「ぼんやりタイム」の話をすると、ほんとうにそんな時間を取れるのかとおどろかれることがよくあります。それだけ「ぼんやりすること」がぜいたくに感じられるということでしょう。なにも生み出さない非生産的な時間に見える「ぼんやり」に時間を使って大丈夫ですか、と。

 でもそれはきっと、いまの世の中の速すぎるスピードや、「生産性」を重視することがあたりまえになっているからでしょう。

 時間のとらえ方を変え、「なにかを生み出さなければならない」という思い込みを手放して「ぼんやり」をつづけていく。するとすぐに、このなにもしない時間にどれだけ価値があるかわかるようになると思います。

 1日の中でなんとなくスマホを眺める時間を寄せ集めたら、1時間くらいすぐに経ってしまうでしょう。その時間を「ぼんやりタイム」に振り分け、頭を休ませることで、「考えるタイム」の深みが変わってきます。

 これまで僕は「なにを書こう」と悩んだことがないと言いました。それはきっと、「考えるタイム」と「ぼんやりタイム」の両方の時間を持っているから。

 心と頭の余白のバランスが取れているからに違いありません。

エッセイストのように生きる

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2023.11.02(木)
文=松浦弥太郎