陽虎と「仁」の関係はさらに重要である。著者は、初版刊行後、朝日新聞のインタビューに答え「下卑た言葉で言うと、孔子は(陽虎から仁を)パクったわけです」と韜晦(とうかい)気味に語っている。だが「パクリ」の語を決して軽く見てはいけない。「パクリ」こそが孔丘の真髄であり、「述べて作らず」も「温故知新」も、きわめて高度な「パクリ」の表明といえるのだ。

 本書によれば、《徳を利害からはなして、個人の倫理的あるいは人格的成熟として示した》のは孔丘であった。葬儀の手続きにとどまる「礼」(小人の儒)を高次の「礼」へと引き上げたのも孔丘。族長と同義だった「君子」の語を、理想的人格者を指す意にしたのも孔丘。《陽虎が考えている仁よりもはるかに抽象度が高いことばとして仁をすえなおす》(本書)こと、まさしくそれは「パクリ」の発展型、完成型であり、到達点を指しているではないか。

 孔丘と陽虎は宿命の対立関係にあった。本書に詳述され、白川静が「自己の理想態に対する否定態としての、堕落した姿を、孔子は陽虎のうちに認めていた」(『孔子伝』)と書いているように。そもそもの出会いは、母の喪中だった二十四歳、孔丘の仕官の契機を陽虎が奪ったときだ。孔丘は陽虎を(うら)み、「あの男を超えてやる」と心に誓う。《あの男を超える、ということは、あの男に詆辱(ていじょく)された自身を超えることにほかならない》とも書かれている。はるかな歳月を経て、孔丘はこの思いをみごとに成就した。「仁」の換骨奪胎によって。胸のすく、何という鮮やかな逆転劇であろう。

 後年の書『孟子』には、「陽虎曰く、『富を()せば仁ならず。仁を為せば富まず』と」という言葉が残されている。いかにも陽虎が言いそうなセリフで、陽虎は当然のごとく「仁」よりも富と権力の座を選んだ。孔丘は陽虎から「仁」を奪い、「仁」の意味を最大限拡張した。至上の価値を与えた「仁」によって、孔丘は「怨み」を超え、陽虎を超え、自身を超えた。

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2023.10.26(木)
文=平尾隆弘(評論家)