『藤井聡太ライバル列伝 読む棋士名鑑』(大川 慎太郎)
『藤井聡太ライバル列伝 読む棋士名鑑』(大川 慎太郎)

 時代の覇者が対峙していた。

 羽生善治と藤井聡太。1996年に七冠全制覇を果たした平成のレジェンドと、2023年に七冠を保持する令和の天才が、6月28日に第71期王座戦挑戦者決定トーナメント準決勝で顔を合わせたのだ。

 '17年に叡王がタイトル戦に昇格してから、将棋界の冠位は全部で8つ。藤井にとって残るタイトルは、永瀬拓矢が4連覇中の「王座」のみとなっていた。羽生を倒せば挑戦者決定戦に進出し、夢の八冠全制覇にまた一歩近づくことになる。羽生にとっては19連覇した王座に返り咲き、悲願のタイトル獲得通算100期を達成する好機だが、常に澄んだ心持ちで将棋盤に向かう男は、最強の藤井と盤上で会話することを何よりも楽しみにしていたはずである。ただ外野からすれば、すでに到来している藤井時代の最後のピースが埋まるのを、過去に全冠制覇した羽生が阻止するというストーリーを思い描くことができる。2人の対決は将棋界の枠を超えて注目されていた。

 32歳差がある両者は、'23年初頭の王将戦七番勝負でも顔を合わせていた。羽生の約2年ぶりのタイトル戦出場にファンは沸き、羽生は敗退しながらも2勝を挙げて奮闘した。王座戦準決勝の下馬評はもちろん藤井が上だったが、一番勝負なら羽生にも十分に勝機があると見る向きも多かった。

 振り駒で歩が3枚表を向き、藤井が先手番を得た。将棋は1手先に指せる先手がわずかに有利だ。この一番勝負で藤井が先手番をつかんだことは幸運以外の何物でもないが、だからこそ大きな意味があるように思われた。後手の羽生は積極果敢に攻めるも、藤井の壁は厚かった。最後は攻めを切らされ、羽生は散った。平成の将棋界を牛耳った羽生が令和の超新星の驀進を止められなかったことは、時代の移り変わりの大きな象徴だった。

 そして藤井は挑戦者決定戦で豊島将之を相手にまたしても先手番を得た。大激戦になり、終盤は二転三転。藤井が非勢に陥った瞬間もあったが、際どく踏み留まった。薄氷の勝利だが、挑戦権を獲得した事実が何より重い。五番勝負を制すれば、将棋史上初の八冠全制覇となる。

2023.10.12(木)