ここに昭和一九年当時の一般家庭の一日の献立例(『婦人之友』一月号)がある。この家庭は首都圏に住む六人家族(主人、主婦、小学生二人、幼児一人、お手伝い一人)、主人は会社勤めで、さしずめ中流家庭と推察できる。この食事がつくられたのは配給前日のため、材料が底をついた状態である。まず朝食は味噌汁(大根)とふりかけ、昼食は混ぜご飯(大根、里芋、ねぎ)、夕食は雑炊(大根、小松菜、ねぎ)である。蛋白質は極度に少なく、食生活はどん底であった。
「一、お粥をすすって供出して戴いたお米です 農家の皆さん有難うございます
二、炎熱酷寒の中にも強く戦ひ抜いて得られたお米です 誓って粗末に致しません
三、腹一杯は勿体ない 誓って節米食ひ延のばし致します 有難うございます」
この中で当時の食事情を察知させるのは、一にある「お粥をすすって供出して戴いたお米です。農家の皆さん有難うございます」と書かれているところである。日本国中、どこの農家でも供出に苦しみながら、お粥や雑炊を食べて耐え忍んでいたことが凄まじいからである。そして「腹一杯は勿体ない」と節食を呼びかけている姿にも胸を打たれるのである。
とにかく戦争は悲惨である。経済も文化も教育も食糧生産も何もかも停滞させ、そして人の命までも奪ってしまうのだから残酷にして酷いものなのだ。本書では「発酵」という人類の知恵と豊かな発想によってつくり上げられた発酵文化も、戦争によっていかに歪められまた利用されたのかについて検証をしてみることにした。
一方、「戦争」という言葉があるのと同じく日本には古くは「合戦」という言葉もある。『広辞苑』には「敵・味方が出合って戦うこと」あるいは「たたかい。いくさ」とある。また『日本大百科全書』(小学館)には「敵味方の両軍が軍場に出合って戦闘を交えること。合戦の語はすでに『将門記』にみえるが、戦闘の規模や方式は武器・武具の発達や時代の進展に伴って大きな変化を遂げた」ともある。さらに『精選版日本国語大辞典』(小学館)には合戦は「(「こうせん(かふせん)」の変化した語)敵味方が出会って戦うこと。戦い。戦闘」とある。
2023.09.06(水)