在日コリアンについて作品を書いた変化
――在日コリアンについての作品を書き、どのような変化がありましたか。
深沢 “風穴が開いた”という感じで、自分の中の風通しがよくなりました。でも、自分のなかで痛みがあるものは書けないので、まだ小説にはできない内容もたくさんあります。
私はわりと、自分のために小説を書いているところがあり、書くたびに何かを乗り越えている感じがあります。だから、小説に出合えてすごく幸せだなと思っています。私が8歳の時、11歳だった姉が病気で亡くなったことを、これまでは人に話すことができませんでした。ですが『李の花は散っても』では初めて、姉を亡くした時の母の様子を思い出しながら、方子さんが息子の晋(しん)の死を悼む場面を描くことができました。自分のなかで気持ちの整理が少しできたと思います。
ですから、もしいまつらい思いを抱えている方や、壁にぶつかって悩んでいる方がいたら、何か文章を書いてみるとよいと思います。私はずっと日記を書いていたので、それで自分に折り合いをつけているところもありました。今はSNSなどもたくさんあるので、ツールを活用しながら文章を書くとよいのではないかと思います。
――ただ、最近はSNSでの誹謗中傷が多く、発信をためらう方も多いと思います。とくにフェミニズムに関する発言は攻撃されがちですが、どう思われますか。
深沢 私は、自分が主体的に何かをやることもフェミニズムであって、ジェンダーに関する発言をすることや、フェミニストが何かを論ずることだけがフェミニズムだとは思っていません。確かに多くのフェミニストがすばらしい意見を発信し、アクションも起こしていますが、それが全てでは決してないと思います。また、フェミニストとして自認するとき、現実社会との乖離が大きければ、かえって苦しさが増すのではと心配もしています。
先日、『明治のナイチンゲール 大関和物語』(中央公論新社)を書かれたノンフィクション作家・田中ひかるさんと、日本で最初の職業看護師になった大関和(おおぜき・ちか)さんについて配信イベントで話しました。彼女は女性の職業を開拓したという点でフェミニストだと私は思っています。そういう意味では、方子さんもマサも、女性としての生きづらさを乗り越えて必死で生きたフェミニストと言えなくもありません。歴史のなかのそういった人たちを題材に物語を書くことも、「フェミニズム」のひとつなのではと思っています。
――次作の構想はもう進んでいるのでしょうか。
深沢 「国家」と「血」に翻弄されながら、大正・昭和という時代を生きた李垠と李方子夫婦を描いて、この時代の国家のあり方を知り、また興味をそそられる人物に多く出会いました。
「父親の育った国で、かつ自分のルーツがある大切な場所」として、韓国・朝鮮の歴史にもさらに興味がわいてきました。地名ひとつ調べても、興味深い歴史があって面白くて……。「土地」に着目した物語も、生み出せたらいいなと思っています。
李の花は散っても
定価 1,980円(税込)
朝日新聞出版
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2023.08.05(土)
文=相澤洋美
写真=上田泰世(朝日新聞出版写真映像部)