国の政策によって李王朝皇太子・李垠(イ・ウン)に嫁ぎ、李方子(り・まさこ)となった日本の皇族・梨本宮方子(なしもとのみや・まさこ)。彼女の人生に、架空の人物マサという女性を絡め、戦前・戦中・戦後の日本と朝鮮半島で生きた女性の姿を描いた大河長編『李(すもも)の花は散っても』。自身も在日コリアンである著者の深沢潮さんに、ご自身のルーツや、女性としての生き方について聞きました。(全2回の後篇。前篇を読む)
――深沢さんはこれまで、ご自身のルーツである在日コリアンについて書かれてきました。いまでも自分の出自について葛藤することはありますか?
深沢 「在日」といってもいろんなパターンの人がいます。たとえば私は日本国籍を持っていますが、両親は韓国籍のままです。在日二世の母から見たら私は「在日三世」で、在日一世の父からみると「在日二世」になります。
一時期はそういうことすら考えたくなくて、考えないようにしていた時期もありましたが、結局、自分が何人であるかなんて、そのときの“状態”でしかないと最近は考えるようになりました。
――デビュー作が、在日コリアンのお見合いをしきる女性主人公を中心にした『金江(かなえ)のおばさん』だったこともあり、「在日コリアン」の作家であることが強調されたこともありました。
深沢 そうですね。デビュー直後は「在日コリアン作家」という面だけを取りあげられたことに思う所もあって、まったく異なる題材で小説を書いた時期もありました。でも最近は、自分は自分の物語を書いているだけだと思えるようになったので、他の人が私をどう評価しているかは、あまり気にならなくなりました。
ママ友から主婦、母、働く女性などいろいろな話を書いていますが、どれも自分のなかにある物語で、そのなかのひとつが「在日コリアン」というだけなんですよね。韓国や在日について書いてほしいという依頼が多いので、在日に関する発言が多いように思われがちですが、それはあくまで「私」という人間の一部だと思って、あまりそこにとらわれないようにしています。もちろん、「在日である自分が在日の話を書かなきゃ」という気負いもありません。
2023.08.05(土)
文=相澤洋美
写真=上田泰世(朝日新聞出版写真映像部)