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 国の政策によって李王朝皇太子・李垠(イ・ウン)に嫁ぎ、李方子(り・まさこ)となった日本の皇族・梨本宮方子(なしもとのみや・まさこ)。彼女の人生に、架空の人物マサという女性を絡め、戦前・戦中・戦後の日本と朝鮮半島で生きた女性の姿を描いた大河長編『李(すもも)の花は散っても』。著者の深沢潮さんに、作品についてお聞きしました。(全2回の前篇。後篇を読む


――『李の花は散っても』は、深沢さん初の評伝です。なぜ今回、評伝を書くことになったのですか?

深沢 担当編集さんと連載の打ち合わせをしていた時に、「評伝を書きませんか」と言っていただいたんです。これまで私は評伝を書いたことがなかったので、「じゃあ書いてみようか」ということになり、3人の候補をあげました。

 ひとりは、アジアの画家としてはじめてMOMA(ニューヨーク近代美術館)に作品が収蔵された李仲燮(イ・ジュンソプ)さんです。いまはすっかり現代美術の巨匠になっていますが、駆け出しの頃は貧しくて、たばこの紙に絵を描いていたこともあったそうです。日本人の奥様との間にもロマンチックなエピソードがたくさんあるので、奥様の目から見た画家イ・ジュンソプを書いてもいいし、本人側の自伝形式で書いても面白いものが書けるな、と思って候補にあげました。

 ふたりめは、ピカソやジャン・コクトー、川端康成らに支持された女流舞踊家、崔承喜(チェ・スンヒ)さんです。彼女は最後、北朝鮮に渡ってしまうという激動の人生を送っています。でも調べたら、西木正明さんがすでに『さすらいの舞姫 北の闇に消えた伝説のバレリーナ・崔承喜』(光文社刊)で詳しく書かれていらしたんですよね。作品を拝読して、私にはこれ以上のものは書けないと判断し、候補から外しました。

 そして最後のひとりが、日本の皇族から李王家に嫁いだ李王朝最後の皇太子妃、李方子さんです。個人的にも興味があって候補に選びました。

――王朝物や日本の皇族についてのお話が好きな方はたくさんいますよね。ご興味があったということは、深沢さんもお好きだったのでしょうか。

深沢 いいえ、韓国には親戚もいるのでよく遊びに行きましたが、「王朝物」にはまったく興味はありませんでした。親戚に会っておいしいものを食べて、買い物をし、あとはK-POPとドラマのロケ地巡りで、王宮見学はしたことがありませんでした。

 でも、実は父が李王家の傍系子孫だったということを知ってからは、少しずつ興味が出てきて。王朝ドラマを見たり、王宮見学に出かけたりもするようになりました。

――朝鮮李王朝の末裔だったとは、ご興味も生まれますね。

深沢 けれど、興味を持つ以前に、私が李王家の歴史についてまったく知らないことに気がつき、愕然としたんです。私の両親は在日コリアンですが、私は日本で生まれ育ったのち、日本の学校に通っていたので、自分で積極的に知ろうとしなければ韓国の近現代史についてはまったく知る機会がありませんでした。

 例えば、ソウルにある昌徳宮(チャンドックン)という世界遺産が李氏朝鮮王朝の離宮だということは知っていました。でも、ここに李方子さんという旧皇族の梨本宮家のお姫様が嫁いで晩年に住んでいたということは知りませんでしたし、知れば知るほど、もっと知りたいと思うようになりました。戦前・戦後という時代もいつか書いてみたいと思っていたので、では李方子さんを書きましょうと決めました。

2023.08.05(土)
文=相澤洋美
写真=上田泰世(朝日新聞出版写真映像部)