14歳で芸能界に足を踏み入れると大御所にも愛されるキャラクターと、たぐいまれなトークセンスで一躍売れっ子に。「プロポーズされて嬉しいと思ったことは1回もない」と言っていたはずの神田うのは、なぜ結婚をして式を9回も挙げたのでしょうか。(全2回の1回目/続きを読む)

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「まぁ、それはすごいバッシングされました」

――14歳でモデル事務所に入ったのが、この世界に足を踏み入れるきっかけですよね?

神田 当時の事務所の方がすごく熱心だったし、私もお洋服が好きだし、じゃあ、やってみようかなと。あと、私も親に上手いこと言ったんですよ。お仕事だからギャラがもらえるじゃないですか。バレエのトゥシューズを何足も履きつぶすので、親にトゥシューズくらい自分で買えるようになりたいって。親も、どうせすぐ飽きて辞めるだろうと思ってOK出したら、飽きるどころかどんどんお仕事が増えて。

――その後、モデルとして活躍しながら、数年後には事務所を移籍してバラエティやドラマ、タレント活動も始まっていきました。

神田 この子、喋らせたら面白いって事務所が思ったようです。最初にフジテレビに連れて行かれた時は、「わぁーっ、初めてのテレビ局だ!」とドキドキでしたね。

 そこからいきなり『オールナイトフジ・リターンズ』の司会をやることになったんです。19歳になったばかりでした。生放送だったけど、最初はどこのカメラを見ていいのかわからなくて。モデルのお仕事は一つのカメラしか見ないけど、テレビだと1カメ、2カメ、3カメ、4カメ、ハンディさんも足元から体をひねって撮ったりして。こんなにカメラがあって、どこ見たらいいの!って。

 そしたら司会でご一緒だったヒロミさんが、「撮られているカメラには赤ランプが点くから、そこを向くんだよ」って教えてくれました。でもこっちが点いたら今度はあっち。パッパとスイッチングされるから始めは戸惑いましたね。

 それと、自分が思ってることをテレビで喋るのも初めてでしたが、まぁ、それはすごいバッシングされましたけどね。『プチセブン』っていうティーン誌の専属モデルもやっていたんですけど、ファンの子たちから、「うのちゃん、こんな性格だと思いませんでした。ファン辞めます」みたいなのが小学館にいっぱい来たようですね。

2023.07.27(木)
文=松永 怜