だから、「食堂を定年退職するまでは書けません」とお断りしたのですが、その舌の根も乾かない2014年3月に諸般の事情で食堂を辞めることになりました。そうしたら、また角川さんからご連絡いただいて、忘れもしない神楽坂の「たかさご」という蕎麦屋さんで昼酒を飲みながら、もう一度執筆の依頼をいただきました。その時、角川さんはミステリーでも構いませんよと言ってくださったんですが、「いや、せっかく食堂を辞めたのですから食堂小説を書かせていただきます」ということで、「食堂のおばちゃん」を書くことになったんです。

 

第二の人生を豊かにした食堂での仕事

――実際に「食堂のおばちゃん」を書いてみて、ご苦労はありましたか?

山口 正直なところ、書いている時から水を得た魚というか、実体験があるせいかとても楽に書けました。作家の中にもお料理上手な方はたくさんいらっしゃると思うんですけど、食堂の経営までやった経験があるのは私ぐらいじゃないでしょうか。社員食堂でしたけど、お金の出し入れから従業員のスケジュール管理、買い出しや業者への発注まで全部任せてもらったんで、半ば自分で経営しているような状態でした。

 デビュー以来、私の作品をずっと読んでくれていたお友達が、「今までのあなたの作品の中で一番好きよ」と言ってくれたり、別の人からも、「ビジターじゃなくてホームで試合してる感じがいいね」と言ってもらったり、まわりの反響も良かったです。

――食堂で働いた経験のおかげで、食の小説が自家薬籠中のものとなったんですね。

山口 丸の内新聞事業協同組合の食堂に入れたのは、本当にあらゆる意味で私の第二の人生を豊かにしてくれたと思います。食堂のパート募集の記事を見たとき、あまりに待遇がよかったのでわが目を疑いました。朝6時から11時までの勤務で時給が1500円。交通費全額支給で有給があってボーナスもある。これは調理師免許持ってないとだめかなと思ったけど、一か八かで面接に行ったら運よく採用してもらえました。

2023.07.10(月)
文=「文春文庫」編集部