6月9日、天皇皇后両陛下は結婚30周年を迎えられた。
お2人がはじめて出会ったのは1986年、現在の上皇ご夫妻が開いた、来日中のスペイン王女をもてなすパーティーでのことだった。雅子さまは、外務省の条約局長を務めていた父親・小和田恆氏とともにこのパーティーに参加。約10日前に外交官試験に合格したばかりの雅子さまの姿は、当時26歳の若き親王だった天皇陛下に強い印象を残していた。
「言葉を交わされたのは2、3分程度だったそうですが、天皇陛下が後に婚約会見で『お互いに心が通じ合うというような、そういう感じを強く持ちました』と語っておられるほど運命的な出会いでした。その後もご交流は続き、マスコミも“お后候補”と騒ぎ始めました。ただ、雅子さまは外交官としての責務に強い思いを抱いていて、婚約話は一旦立ち消えになった」(全国紙の皇室担当記者)
「雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから」
それでも天皇陛下の思いは変わらず、皇太子への即位や雅子さまの英国留学などを経た1992年8月に再会。10月にお忍びデートで千葉県市川市の新浜鴨場を訪れると、「雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから」と結婚を申し込んだ。一度は断った雅子さまだったが、再度のアタックを受け12月12日にプロポーズを受諾。陛下の6年越しの思いが実った瞬間だった。
「雅子さまは外務省時代には日米貿易摩擦問題に注力し、アメリカのベーカー国務長官らの来日時には通訳も務めた才女とあって、お2人のご結婚には単なる“皇太子の結婚”以上に注目が集まりました。才色兼備の雅子さまはすぐに日本中で人気になり、ご結婚当日のテレビはどの局も雅子さまの話題一色。特に気合いが入っていたTBSと日本テレビは、午前6時前から夜まで14時間以上ぶち抜きの特番編成を組むほどでした」(同前)
お2人の「結婚の儀」は皇居内の賢所(かしこどころ)で行われた。当時の宮澤喜一首相ら参列した812人は賢所の前庭にある幄舎や東回廊に着席。午前10時過ぎ、黒の垂纓(すいえい)の冠に黄丹袍の束帯姿の天皇陛下が笏を手にして回廊へ進み出ると、その後ろから十二単と金の髪飾りを身に着け、檜扇を持った雅子さまが現れた。
2023.06.22(木)
文=「文春オンライン」特集班