日々なにかをチェックされるし、私の頃はどちらかが落ちて、どちらかが進めるという、誰かと誰かを比べる審査が多かった。私はぜんぜん平気だったんですけど、他の子たちは「キツい」という雰囲気でした。

「阿部さんの娘か」日本代表に選ばれてついにバレる

ーーお父様はミス・ユニバースへの挑戦には反対もせず。

阿部 父は私が芸能界へ進むことには反対だったので、ユニバースをやりたいことや応募していたことは黙っていたんです。でも、さすがにユニバースの千葉代表になったときには言いました。

 父は学生の時からモデルをやったり俳優をやったり、それでも食べていけないから家庭教師もやってと、若い頃から苦労をしてきたんです。その経験を娘にはさせたくないとのことで、反対していたんですね。

 ユニバースに応募した話をしたら、しばらく心配していましたね。心配というよりは、はなから「娘が落ちたら」といったことを想定しているんですよね。だから「落ちたら、こうなるんだよ」みたいに、落ちる前提で話をしてくるし。私が傷つくことを案じているというよりも、父がショックを受けたくなくて自ら予防線を張っていましたね(笑)。

ーー千葉代表、日本代表と進んでいくにしたがって、お父様も応援モードに突入していったのでは。

阿部 そうなんですよ。日本代表になったら、もうそこからはうれしくてうれしくてしょうがなかったらしくて。ユニバースのときは父のことを誰にも話さないでいたんですけど、日本代表に選ばれたときに父が「やったー!」と喜んでる映像が流れてから「ああ、阿部さんの娘か」と知られるようになって。

 

世界規模の舞台での“カルチャー・ショック”

ーーカルチャー・ショックまではいかずとも、ミス・ユニバースに挑んでみて驚かされたことはありますか。

阿部 スピーチに尽きますね。審査するうえで、かなりのポイントにもなるのでスピーチ力が重要になるんです。私のスピーチは日本代表になるまでは通用したけど、そこから先はちょっと次元が違いましたね。

2023.06.12(月)
文=平田裕介