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人生を変えてしまった登山

――もともとは山に興味を持って、「歩荷」というお仕事に辿り着いたんですか?

 もともと科学が好きで、科学者を目指すために、高専の物質工学科に通っていたんです。でも、じつは小学生ぐらいまで、授業中も一人だけ校庭で遊んでいたような、じっとしていられない子どもだったんですね。だからか、実験室で白衣を着て試験管を振るような日々に違和感を覚えるようになって、どうにも身が入らないという状況が続いていたんです。

 そんな時、友人のお父さんが登山に誘ってくれまして、木曽駒ケ岳に登りました。もう、求めていたものが山に全てあるという感覚になって。体を駆使して、五感もフルに働く。実験室にはないものが、山には全てある! と感動して、その日からどうやったら「山で生きられるか」ということで頭がいっぱいになりました。

――どうやったら「山で生きられるか」……なかなかの難題ですね。山のどんなところに感動したんですか?

 山の裾野の村にある登山口からテクテク歩いて、合計1,000メートル近く登るコースだったんですね。登山で1,000メートル登ることはよくありますが、普通は途中まで車や電車で行って、山の中腹から登り始めます。ただ、その時は本当に人里から地続きに歩いて、ようやく登山っぽい様相になってきた頃にはもう夕方になり、テントを張って一泊したんです。

――いきなり本格的な登山を楽しんだんですね。

 高低差も大きいので酸素の濃さが変わり、気温も変わり、生えている植物も変わっていく。景色も匂いも変わっていって、山の全体を味わせてくれるような登山でした。2週間後には退学届を持って、「山で生きたい」と先生に相談に行っていましたね。

――それはすごい行動力です。

 その後、僕がどんどん山に傾倒していくので、友人とお父さんは今も「とんでもない道に秋本を導いてしまった」みたいな罪の意識を感じているらしくて(笑)。僕としては本当に感謝しているので、仕事が来たり、良いことがあったりした時は、友人に連絡するようにしているんです。大丈夫ですよって意味を込めて(笑)。

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秋本真宏(あきもとまさひろ)

1991年静岡県生まれ。中学を卒業後、化学者を志し5年一貫教育の沼津高専物質工学科に入学。
高専生のときに長野県の木曽駒ヶ岳の登山で山に目覚める。その後、信州大学農学部森林科学科に編入し、日本各地の山を学ぶ。大学卒業後は、木材の会社に就職するもまもなく退社。山に関する様々な仕事を経験するため個人で活動を続け、2021年、株式会社「山屋」を設立。
https://yamaya-corporation.com/

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2023.06.03(土)
文=CREA編集部
撮影=鈴木七絵