「配属されてから『これは自分のやりたかったことじゃない』って思ったことないですか?」「そもそも自分のやりたい事があらかじめ社会に職業として用意されてるわけないと思いますが?」
おかざき真里の漫画『サプリ』にこんなシーンがある。新入社員の素朴な質問に、広告会社に勤める主人公が放ったセリフだ。「やりたいことが社会に職業として用意されていない」。じつは往々にしてあることなのではないだろうか。
10代で山に魅了され「山で生きたい」と願ったものの、既存の職業ではしっくりくるものが見つからず、自ら新しい道を切り拓いた秋本真宏さん(31)。「山で生きる道」を見つけた秋本さんに、その足跡を聞いた。
調べれば調べるほど、山の仕事がわからない
――初めての登山後は「山で生きるための作戦ばかり練っていた」と、過去のインタビューでおっしゃっていましたが、具体的にはどのような構想を練っていたんですか?
まずGoogle Earthを見て、大きい山がいっぱいあるところを探しました。
――そこからですか!
そこからです(笑)。それで、中央アルプスと北アルプス、南アルプスと八ヶ岳が意外と近いことを知ったんですよ。全て長野や山梨に密集しているんですね。なので、まずは地元の沼津を離れて、長野県に住もうと考えていました。ただ、先生には「高専を卒業してからでも山に行くのは遅くはないのではないか」と反対されて。登山家の世界で17、18歳から登山を始めるのはかなり遅い方ですが、僕はアスリートになりたいわけではなかったので、悶々としつつも卒業までは高専に通うことにしました。
――5年間は高専に通い、その後信州大学に進むわけですね。
はい。高専卒業までは主に山について調べる時間に当てたのですが、日本の国立大学には、「演習林」と言う山を持っている大学があることを知りました。林業や生物学などを研究する人が使うためのフィールドですね。それで、卒業後は山を持っている長野県の大学に行こうと決めて(笑)。大学時代は、研究者の調査に同行させてもらったり、山で働いている方を訪ねたりしました。林業だったり、国立公園の管理してるレンジャーだったり、大学の先生だったり。山小屋の人や山岳ガイドさん、いろんな職業の人に出会ったんですけど、調べれば調べるほど、山の仕事がわからなくなりました。
2023.06.03(土)
文=CREA編集部
撮影=鈴木七絵