星組の男役になるために
当時の星組は、上級生から下級生まで様々な男役が芸を競い合っていた。舞台の技術とマナー、礼儀や上下関係に大変厳しく、熱の入った指導で組がまとまっていた。
「10のことを言われたら、次の日に10、出来てもだめなんです。15、20、やって当たり前」
注意されたら反省して、次からどうするべきかを、自分で考えて自分で行動する。そうすれば、たとえ失敗しても成長できる。星組のその教えは、夢乃さんの「諦めない気持ち」を育てていった。
下級生の男役は「星組ジョッパー」と呼ばれるズボンでお稽古をする決まりがあった。ベロア生地で、足首が窄すぼまったシルエット……つまり、ださい。「ジョッパーを穿いて格好良く見せられなきゃ、一人前の男役になれない」というわけだ。どんな格好だろうと誰よりも素敵になりたいと、夢乃さんは研究に励んだ。
演出家などの先生によるお稽古の他に、生徒だけで行う自主稽古というものがある。星組には、有名な自主稽古のやり方があった。男役だけのダンスナンバーを、下級生が1人ずつ踊ってみせるのだ。上級生の前では数人で踊るだけでもとても緊張するものだが、それをはるかに上回る恐ろしいお稽古だった。トップスターも組長(組をまとめる重要な役職の上級生)も目を光らせる中、言葉に出来ない緊張感に震えながら、夢乃さんは必死に踊った。大階段をまっすぐ降りるだけの振付でも滝のような冷や汗をかき、当然、とても厳しいダメ出しが飛ぶ。しかし、それはつまり上級生が自分のお稽古時間を割いて、芸のコツや技術を惜しげもなく教えてくれる場だった。この自主稽古は夢乃さんに、宝塚の舞台に立つ上で大切なことを教えてくれた。
「舞台の端っこで踊る時も、そのぐらい緊張感がなきゃだめなんですよ。大階段のてっぺんでも2階の客席からはよく観えるから、1列目の人と同じ気持ちで踊らないといけない」
何より、「自分が上手ければ良いのではなく、下級生を置きざりにしない」という星組の上級生の方々の愛情を感じ、ここで頑張ろうという気持ちが漲っていった。
「すっごい怖かったけどね!」
上級生から「それで舞台に出て、格好良いと思う?」と常に厳しく問いかけられた経験は、客観的に自分を見る力になった。
2学年上の若手スターに、後に星組トップスターとなる柚希礼音さんがいた。顔立ちも背格好もよく似ていたため、柚希さんと夢乃さんは頻繁に間違えられた。なんと、夢乃さんを応援する方が、柚希さんにファンレターを渡してしまうこともあったそうだ。下級生と見間違えられた柚希さんは気を悪くするどころか、「ともみ〜、お手紙もらって来たで〜」とにこやかに届けてくださった。研3の頃から新人公演で柚希さんの役を演じる機会が増えていったが、特別な気負いはなかったという。
「ちえさん(柚希さん)は、ずば抜けた実力と人気のあるスターさん。雲の上の人だからこそ、私は私だ! って思って頑張れたんです」
遥か上の存在であり、苦楽を共にして舞台を作った仲間でもある柚希さんは、その後夢乃さんが上級生になってもずっと尊敬する男役であり続けた。
新人公演の度に全力で唐の寿王や江戸末期の無宿人、頭の切れるカリブ海の情報屋など、様々な役に挑戦した夢乃さんだが、実はお芝居が苦手だった時期があったそうだ。
星組に入ったばかりの頃は、ダンスや歌と違い、「役を演じる」のがどういうことか、さっぱり分からなかった。お芝居が大嫌いで、演技も下手だったと自らを振り返る。
そんな夢乃さんが不思議な転機を迎えたのは、研5で出演した「龍星」だった。
「囚われの男」役を演じた彼女は、牢に囚われて苦しむ人の動作も心情も理解できず、お稽古場では毎日のように厳しいダメ出しをされていた。
そんなある夜、夢を見た。彼女自身がどこかに拘束されて絶望し、もがき苦しむ夢だった。
翌日、夢で感じた気持ちのまま、お稽古場で「囚われの男」のお芝居をやってみた。前日とは打って変わって、夢乃さんの演技には豊かな感情がこめられており、先生も上級生も驚きながら褒めてくれたそうだ。このことがきっかけとなり、少しずつ「演じる」コツをつかんでいって、気がつけばお芝居が好きになっていた。
彼女は印象的な夢を見て、舞台の糧となったり心が救われたりした経験が何度もあるという。
「今は、寝る直前に子どもとお喋りしたことが、必ず夢に出てくるの。面白いよ」
夢の不思議さもさることながら、その夢に意味を見出して現実を変えられるのは、彼女の感性のなせる技だろう。
舞台の先頭に立つ
夢乃さんが特に憧れたタカラジェンヌは、元雪組の男役スター彩吹真央さんだった。歌、ダンス、お芝居の全てが洗練され、抑えた表現で大人の深みを見せる舞台に心惹かれた。
「私自身のカラーとは違ったけど、違うからこそ素敵だと思ったんです」
そして、元花組トップスターの真矢ミキさん。強い個性を持ちながら多彩な色合いを表現できる、観客を飽きさせない魅力に引き込まれた。
「私も、夢乃聖夏にしかない!っていう、ぶれない個性を持ちたいって思いました」
では、夢乃さんの目標は、なんだったのだろうか。
「私ね、『バラタン』に入りたかったんだ」
バラタンとは、「ベルサイユのばら」のフィナーレナンバーのひとつである「薔薇のタンゴ」のことで、男役スターたちがフリルのついた黒とゴールドの衣装で激しく踊る、宝塚ならではの格好良いシーンだ。研1の時から大好きで、「『バラタン』に出るためにはスターにならなくては」と熱意を抱いていたという。また、黒燕尾を着た男役のフィナーレナンバーの、前面で踊るピックアップメンバーになることも目標としていた。
具体的な目標を掲げたことで、夢乃さんはどんな公演にも全力で取り組み、自分が理想とする男役を目指して努力を続けることができた。
夢乃さんが、重要なチャンスである新人公演の主演を果たしたのは、2007年「エル・アルコン―鷹―」のティリアン・パーシモン役だった。
「主演が決まった時はもう、心臓が飛び出るかと思いました」
2年前の新人公演のアンドレ役での失敗を思い出し、本番の舞台を冷静にイメージしてお稽古に励んだ。難しい曲が多い作品だったため、苦手な歌への不安はあったが、思い切り自由にお芝居ができることに大きな喜びを感じた。
「それに、みんなの先頭に立って舞台を引っ張っていけるのがすごく楽しかったんです。トップスターさんと違って、たった1日だから出来たことだけどね」
堂々と新人公演の主役をやり遂げた彼女だったが、「終演後に色んな上級生の方から『お芝居は良かったけど、歌が酷かったよ。もっと頑張ろうね……!!』って言われて。はい、ごもっともです!」
厳しいアドバイスを真摯に受け止めた夢乃さんは、事実、この新人公演をきっかけに意識的に歌に取り組むようになり、演技やキャラクター性を活かした歌い方が得意になっていった。
でも、もう人前では歌いたくないと、苦笑いを浮かべる。
「今は毎晩、子どもたちに子守唄を歌ってる。一番はじめに眠るのは夫だけどね」
個性派男役スター、夢乃聖夏さん。熱く、豪快に、星組の男役スタイルを確立していった彼女は、2012年に思いがけないターニングポイントを迎える。大好きな星組から雪組へ、組替えの辞令を受けたのだ。
すみれの花、また咲く頃 タカラジェンヌのセカンドキャリア
早霧せいな、仙名彩世、香綾しずる、鳳真由、風馬翔、美城れん、煌月爽矢、夢乃聖夏、咲妃みゆ。トップスターから専科生まで、9名の現役当時の喜びと葛藤を、同じ時代に切磋琢磨した著者だからこそ聞き出せた裏話とともに描き出す。卒業後の彼女たちの新たな挑戦にも迫り、大反響を呼んだインタビュー連載、待望の書籍化!
定価 1,650円(税込)
新潮社
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早花まこ
元宝塚歌劇団娘役。2002年に入団し、2020年の退団まで雪組に所属した。劇団の機関誌「歌劇」のコーナー執筆を8年にわたって務め、鋭くも愛のある観察眼と豊かな文章表現でファンの人気を集めた。BookBangで「ザ・ブックレビュー 宝塚の本箱」を連載中。
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2023.05.27(土)
文=早花まこ