この記事の連載

 「宝塚を卒業した私を待っているのは、どんな現実なのだろう」——元宝塚歌劇団雪組娘役の早花(さはな)まこさんが、卒業生たちに聞いた“宝塚のその後”の人生を綴る。


宝塚という夢の世界と、その後の人生

 宝塚を目指すという将来の夢は、極めて限定的だ。

 「ミュージカルや演劇をやる人になりたい」という夢ならば、様々なレッスン方法や経歴が達成に繋がる。だが、「宝塚の舞台に立ちたい」場合、その舞台に続く道はただ一本であり、それ以外のコースでタカラジェンヌになることはありえない。

 宝塚歌劇団は、創設から100年以上の歴史を持つ劇団である。生徒と呼ばれる劇団員は未婚女性のみで約400名、女性が男性を演じる男役と娘役とに分かれていて、特に男役スターは多くのファンを持つ。

 宝塚を目指す人は、宝塚音楽学校の受験に自らの全てを懸けて挑むものだ。宝塚歌劇団に入団できるのはこの学校の卒業生だけなので、全国から志望者が集まる。

 応募資格は15歳(中学3年生)から18歳(高校3年生)までの女性。募集要項にある「容姿端麗」という条件が、受験生の心を大いに不安にさせる。

 よく知られているように、宝塚音楽学校の入学試験はかなりの難関だ。3月の合格発表の様子は毎年ニュースで報道され、季節の風物詩ともなっている。合格倍率は、平均して約23倍。私自身そんな「狭き門」を潜り抜けたわけだが、小柄で不器量な上、飛びぬけた特技がない私のような凡人の合格は、とにかく運が良かったという一言に尽きると自分では思っている。

 宝塚受験とは確立されたひとつのジャンルであり、受験生とその家族にとってのビッグイベントなのだ。

 2020年3月、私は宝塚歌劇団を卒業して、元タカラジェンヌとなった。

 2002年に入団してすぐ雪組に配属され、18年間宝塚の舞台に立った私も、はじめの一歩
は宝塚受験だった。

 まれに「記念受験のつもりが受かってしまった」「宝塚を一度も観たことがなかったけれど、周囲のすすめでなんとなく受験したら合格した」という人もいる。だが受験生のほとんどは睡眠時間を削ってレッスンに励み、遠方までバレエや声楽の教室に通い、血のにじむような努力を重ねる。

 そして見事合格を勝ち取っても喜ぶ暇はなく、厳しい学校生活が始まる。2年間で礼儀作法を学び、歌、ダンス、演劇に加えて日本舞踊やタップダンスまで、舞台で必要な技術を身につける。もちろん、その2年の間には何度も試験があるので、同期内の成績順位争いも大変熾烈なものだ。

 そんな宝塚歌劇団を卒業するまでの18年間、私は実に様々な人と出会った。

早花まこ。©︎新潮社
早花まこ。©︎新潮社

日夜闘い続ける劇団での日々

 ひとつの舞台には、多くの関係者が存在する。出演者の皆さん、演出家の先生、スタッフさん、劇場職員、それに報道の方など。おそらく、いまだに私が知らない職種の方も多く関わっているだろう。

 例えば、一口に舞台スタッフさんといってもその部署は色々だ。大道具、小道具、音響、照明、衣装係。舞台で使う靴だけを製作する方々もいる。

 舞台に関わる沢山の人たち、その中でも歌劇団の生徒は皆とびきり個性的であった。「ただものではない」という言葉がピタリと当てはまるような猛者ばかり、非常にバラエティーに富んでいた。

 豪快な失敗談が伝説のように語り継がれている方。24時間お稽古場にいるのでは? と思われていたほど練習熱心だった方。舞台でもファンの前でも普段の生活でも男役のスタイルを崩さなかった方……。

 時には舞台について何かと考え、思い悩むこともある。劇団以外の人の客観的な意見を取り入れるのは大切だが、やはり宝塚の先輩に教えてもらうしかない、という類のことも多かった。

 宝塚は、女性が男性を演じることだけでもそうだが、受け継がれてきた伝統美や形式美がその根底にある。だからこそ、他の演劇やエンターテインメントの常識だけではうまくいかないこともあった。ペアダンスの組み方、衣装の着こなし、時には役の心情まで……悩みを抱えている時、宝塚の生徒ほど頼れる「アドバイザー」はいないのだ。

 上級生になってからも、下級生から教えられ、意見をもらうことは多かった。そうして私は、実に沢山の生徒から多くの事柄を学ばせてもらった。

 前述した厳しい入学試験を突破し、日夜闘い続ける劇団での日々。

 10代で親元を離れ、青春のすべてを宝塚の舞台に捧げる―。特殊かつ過酷な環境の中で生き抜く彼女たちは、強靭な精神力を養っていく。だからこそ、その言動や信念には芯があった。

 それはトップスターをはじめ、スターと呼ばれる立場にいる人たちに限らない。

 花・月・雪・星・宙組の5組それぞれに約80人の生徒が所属しているのだが、そのうちの10人にも満たない一握りの人のみが「スター」で、その他大勢は「スターではない人たち」になる。

 そんな彼女たちが口にする「主役でなくても良い」「舞台の脇を締める存在でいたい」「群舞で踊ることは最高に楽しい」といった言葉を、スターになれなかった者の負け惜しみと言う人もいるだろう。スターになることを「勝ち」と表現するならば、それは負け犬の遠吠えだ。そう思われても構わない。 

 けれど違う。私自身も脇役に過ぎなかったから、確信をもって言える。

 宝塚音楽学校時代からお芝居が好きだった私は、通行人でも市民の1人でも、宝塚の舞台で役を演じていることが楽しくて仕方がなかった。スターさんを羨ましがる暇もないほど、「その他大勢」にはお稽古することがたくさんあった。

 とあるお芝居が終わった後、近くの上級生に謝りに行った彼女は、真ん中にいた主役に謝らなかったことを叱られた。「脇役は、スターさんを敬いなさい」ということではない。グラスの落ちた音が誰かのお芝居の邪魔になっていなかったか、考えるべきだったのだ。

 些細な物音が、その場面の雰囲気を壊してしまうことがある。台詞や役名のない人物でもお芝居を作る役者としての意識を持つように、という注意であった。

2023.05.27(土)
文=早花まこ