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この演説によって、国民やマスメディアの女王に対する怒りは収まった。翌9月6日、ダイアナの葬儀は「準国葬」ともいうべき待遇で予定通りに行われた。王族も97歳の皇太后をはじめすべて参列した。その模様はテレビ中継され、全世界で25億人以上の人々が画面に釘付けになったと言われている。こうして「民衆の皇太子妃」の葬儀は無事に終わった。
「ダイアナ事件」で支持率は急落
しかし「ダイアナ事件」は王室にとっての新たな試練の始まりでもあった。これを機に、王室の支持率も一時的に急落したからだ。特に、ある意味ではダイアナを不幸に追いやったチャールズ皇太子への風当たりはさらに強まった。世論調査では「女王の後には、チャールズではなくウィリアムが国王に即位すべきだ」と答える者のほうが、チャールズへの正統な継承を望む者より圧倒的に多くなるほどであった。
実は「民衆の皇太子妃」として庶民からは慕われていたダイアナであったが、上流階級や上層中産階級など、いわゆるエリートの人々のあいだでは、ダイアナは嫌われていた。スペンサ伯爵家という名門貴族の家に生まれた彼女が、上流階級のあいだで嫌われていたというのは不思議に思われるかもしれないが、彼女は不幸な少女時代を過ごした。両親が6歳のときに離婚し、継母ともうまくいかなかったダイアナは、上流階級としての教育を受けられぬままに、日本でいえば中学校卒業程度で教育を終えてしまったのである。
イギリス王室の慈善活動への誤解
このため上流階級に特有の礼儀作法や教養にも欠け、彼女がむしろ「庶民派」だったのはこのためだったのかもしれない。それと同時に、それまでの古くさい王侯貴族のあり方からも自由に育ったのかもしれない。ダイアナは、子育てがひと段落済むと、様々な慈善活動(チャリティ)に精を出すようになった。それは離婚して王室を離れてからも、対人地雷禁止運動やエイズ患者への支援という自らが立ち上げた団体を通じて続けられた。
2023.05.20(土)
文=君塚直隆