彼女がパリで事故死し、葬儀が行われるまでの1週間、テレビ・ニュースは連日のように彼女がこうした慈善活動で活躍した姿を映し出した。いつしか視聴者は、自分たち弱者のために手を差し伸べてくれたのはダイアナだけで、他の王族たちは何もしてくれないと誤解するようになっていった。ダイアナが慈善活動に邁進したのは、実は最後の数年だけであって、イギリス王室こそが19世紀半ばから率先して慈善活動を主導してきたのだ。

 

時代に的確に対応していたダイアナ

 先に記したヴィクトリア女王の夫君アルバートはその嚆矢であり、「慈善活動の先陣を切り、われわれの生活をより高次の純粋なものにしていくための種々の努力を指導して、激励していくこと」が王室の使命であると、彼は常々家族にも言い聞かせていた。ヴィクトリアの時代までに、君主制は、義務、奉仕、自己犠牲、安定性、威厳、道徳的原理などの価値観を具現化する最大の存在となっていた。

 20世紀末になってもそれは変わらなかった。ただし変わったことは確実にある。それは慈善活動を進めていく「方法」だった。王室も貴族も慈善活動は「慎ましく行う」のが筋であると、19世紀以来の慣習や伝統を重んじていた。しかし20世紀の末には、それでは誰も気がついてくれない状況となっていたのである。ダイアナは違った。彼女は自身が派手に着飾って、慈善パーティーや競売(オークション)などに率先して出席し、世間にもっと団体やその活動をアピールする術を心得ていたのだ。おかげで彼女が関わる慈善団体の催しは、いつも大入り満員となり、収益金の額もひと桁違っていた。それがまた他の王族たちの嫉妬やねたみの対象にもなり、彼女のやり方は上流階級から厳しい目で見られていた。しかし時代に的確に対応していたのはダイアナのほうだった。

今後の王室に必要なもの

 女王を筆頭とするウィンザー王家の方法は、無口で遠慮がちで自制心に満ち、形式にこだわり、義務と規律を重んじるという質実剛健なものだった。ジョージ5世の時代であればそれでも通用しただろうが、いまやエリザベス2世の時代なのである。むしろ少々軽薄かもしれないが、人々に近づきやすく、魅力に溢れ、ありのままの姿をさらし、傷つきやすく、無邪気で感傷的なダイアナのほうが、より人間味があると人々からは思われた。

 こうした時代の変化を感じ取った方策が、今後の王室には必要になってくる。「ダイアナ事件」で一時は窮地に陥った女王は、すぐに失敗から学び取れる君主であった。時代に乗り遅れたら、必ず君主制は亡びる。1997年という、92年に続く王室の危機の年に、女王はいやというほどそれを味わされた。

2023.05.20(土)
文=君塚直隆