二代目が真空パックを開発

 崎陽軒は、やがて駅前に食堂を開き、レストラン事業も手がけるようになる。
 俄然がぜん、耳目を惹く契機となったのは、戦後まもない1950年、横浜駅ホームで商品を売り歩く「シウマイ娘」による販売を始めたことであった。乗客へ車窓越しに販売するため、身長158センチ以上の女性であることを採用条件にしたと伝わる。ホームに停車中のわずかな間に、駅弁と湯茶を窓越しに慌ただしく買うのは、往時の日本人にとり、長距離電車に乗る楽しみのひとつであった。いまや、コンビニエンスストアが日本中にあり、駅構内の売店も多様化した。新幹線の窓は開閉せず、ホームで売り子から大急ぎで弁当を買うという光景も昔日の光景となった。
 4年後の1954年、駅弁屋の原点を思い返すように「シウマイ弁当」を発売する。シウマイ四個に加え、ぶりの照り焼きや玉子焼き、蒲鉾、酒悦の福神漬、そして白飯といったボリュームで、一箱100円であった。
 シウマイ弁当に付いている醤油は使い捨ての小さなポリ容器入りだが、「昔ながらのシウマイ」や「特製シウマイ」などには磁器製の白いひょうたん型の醤油入れが添えられている。発売当初はガラス製であったが、その後、白い無地のひょうたん型の磁器製に代わる。やがて、代表作『フクちゃん』で知られる漫画家の横山隆一自ら「目と鼻をつけてあげよう」と申し出たことから、いろはにちなんで48通りの表情が描かれるようになった。愛称「ひょうちゃん」の全種をそろえようとするコレクターは世に少なくない。白い磁器製の「ひょうちゃん」は、当初から、本場の愛知県瀬戸市にある碍子がいしメーカーで製造されている。
 シウマイ弁当の容器は、1日に約2万5000食を売る現在でも、水分のバランスを保つため、材木を紙のように薄くスライスした経木きょうぎが使われており、主にふたはアカマツ、底はエゾマツで、北海道の指定メーカーで加工され、横浜と東京の工場に送られる。外枠や、中の仕切りの木材は食品用の糊で貼り合わされる。主原料の豚肉は鮮度を重視し、冷凍物は扱わず、国内産の塊肉を仕入れて自社工場で挽き肉にする。干帆立貝柱は、いうまでもなくオホーツク海産と、横浜の「名物」と銘打ちながら、全国より粋と贅を集めてつくりつづけられている。
「冷めてもおいしい」と謳うシウマイが出発点であったからこそ、弁当に入る俵状に成型された白飯にも同様の品質を追求する。その結果、米を蒸して炊き上げる製法を確立した。たとえ時代が変わろうと、容器に経木を用いつづけるのも、シウマイや白飯などの品質をなによりも重んじるからである。
 1965年に茂吉が他界し、長男の豊が二代目社長に就く。就任まもない1967年、製造過程で高温レトルト殺菌した真空パックのシウマイが誕生する。熱烈な愛好者から寄せられていた、遠くへも持ち帰りたい、という長年の要望に満を持して応える製法を確立したのであった。さらに、また逸話が生まれる。「真空パック」という名称はこのとき崎陽軒が初めて用いたものである、と。
 真空パック化により5か月の長期保存が可能となり、のちに各種の冷凍食品にも発展していくのだが、鮮度を重視した商いに変わりはない。前述のとおり、保存料が不使用であるから、常温販売のシウマイの消費期限は製造から17時間、白飯の入るシウマイ弁当のそれは約10時間と短い。
 幾度かの構成変更を経ながら、シウマイ弁当は、肩を寄せ合うように並ぶシウマイ五個のほか、鮪の漬け焼、鶏の唐揚げ、玉子焼き、蒲鉾、口直しのあんずが一つずつ、さらに筍煮、千切り生姜、切り昆布、白飯の真ん中に載る小梅一粒など、副菜の顔ぶれが十年一日のごとく変わらない。たとえば、鮪の漬け焼を鮭の塩焼きなどに一時的にでも変えようものなら、長年のファンは黙っていない。堅固な相思相愛の関係がシウマイ愛好者との間で育まれてきた。
 自社製品の歩みと進化について、ひとしきり語った野並は、「いまのコロナ禍で、なんとも──」と口を濁しつつも、「運動会のシーズンですよね」と秋晴れの窓の外を見やった。
「キャンセルポリシーというのでしょうか。運動会などで、あらかじめシウマイ弁当をまとめてご予約いただくことが横浜では多いんですが、雨天で中止となった場合、当日の朝早くにご連絡をちょうだいしたら、キャンセル料を一切とらないことにしています」
 企業の理念や良心だけでは貫けない信条であろう。朝になって300食、500食とキャンセルになっても、市内にある主だった店舗で当日に売り切ることができるという算段も立つからである。首都圏一都三県と静岡県に合わせて約150ある崎陽軒の店舗で屈指の売り上げを誇るというJR横浜駅構内の横浜駅中央店へは、午前六時から午後九時までの営業時間中に最多で1日に約20回、商品を配送すると聞いた。完全事前予約制で、祝い事には白飯を赤飯に、葬儀などには紅白のカマボコを白いそれに代えて指定日時に届けるというサービスも、社長の野並直文が導入を決断し、継続してきた。

2023.05.18(木)