あまりの説得力の高さと面白さゆえに、辰野金吾の一代記はこれ以外の書き方はなかったと思わされるのだが、他ならぬ著者の、建築にまつわるノンフィクション『東京の謎(ミステリー) この街をつくった先駆者たち』や、万城目学との対談本『ぼくらの近代建築デラックス!』などを読んでみると、全く別のものになった可能性に気付かされる。金吾の伝記的事実に基づいたエピソードはまだ無数にあり、設計した建築物に対しても多様な解釈があるからだ。しかし、本作はこのようになったし、著者にとってもこれ以外にはあり得ないものとなった。その点に、「歴史」と「小説」の違いが凝縮されているような気がしてならない。端的に言えば、歴史的「偉人」としてだけでなく、等身大の「隣人」として描いているのだ。

 実は、本作は基本的に金吾にカメラを据え、金吾の内面が語られていくのだが、要所要所でカメラをバトンパスされる人物がいる。親友の曾禰達蔵と、長男の辰野隆だ。

 金吾に最も近い二人の語りを採用することで、彼を「隣人」として捉える視線が強まっている。なおかつ二人の語りの中には、金吾の強烈な個性を前にして「ならば自分は?」と我が身を振り返る想像力が書き込まれている。それがあるからこそ読者もまた「ならば自分は?」というフィードバックが起こる。

 歴史的「偉人」としてだけでなく等身大の「隣人」として、金吾の存在を受け止めている証と言える。建築物の価値は、中に入ってみなければ本当のところは分からない。小説を書くという行為を通して、作家は「日本近代建築の父・辰野金吾」という歴史的建築物の中へと足を踏み入れたのだ。そこで初めて得た感情や発見が、本作には無数にちりばめられている。

 その成果もまた、読者がかつてこの世界に存在した「日本近代建築の父」と謳われる男と、「隣人」として出会うことへと誘っているだろう。その出会いの感触は、末長くたなびき消えることはない。

2023.04.27(木)
文=吉田 大助(ライター)